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トピックス

2024年5月24日 (金)

潮見佳世乃氏がコンサート開催

  当会の潮見佳世乃氏が2024519()に千葉文化センターで、源氏物語宇治十帖より「浮舟」歌物語コンサートを開催されました。

 はじめに、潮見さんより、今回のテーマについて解説があり、「ピアノ」「尺八」「箏」伴奏による潮見節の熱唱、会場内大変な盛り上がりで満席でした。

岡崎妙春氏が「剪画」個展開催

   当会の岡崎妙春氏が目黒区自由が丘「ギャラリー 古桑庵」にて「剪画(せんが)」個展(2024年5月9日~14)を開催。盛況裡に終了致しました。

 当会からも大勢の方のご鑑賞・ご観覧、感謝申し上げます。

2024年4月26日 (金)

喜多村園子氏の講演報告

新潟県阿賀野市の喜多村園子氏が2024年4月21()に、テーマ「幕末の志士から良寛敬慕者へ 小林二郎の業績と生涯」(主催「新潟良寛会」、会場・新潟市中央区礎町「クロスパルにいがた」)にて講演され、以下のように参加者から感想をいただきましたのでお伝えいたします。

 

  • 何よりも研究対象にかける先生の熱い思いと瑞々しさに感動して聞かせていただきました。(新潟青陵大学特任教授 伊藤充先生)
  • 「江戸無血開城」の真実が判ってよかった。」(新潟良寛会会員)
  • 山岡鉄舟が大好きで、『山岡鉄舟』(大森曹玄著)を読んでいたが、小林二郎が鉄舟の弟子だったとは、驚いた。(良寛会会員 能楽協会会員 宝生流師範)
  • こんな素晴らしい人小林二郎が、新潟にいたとは。全く知らなかった。(良寛会会員)
  • 良寛のことがこのようにして広がったのですね。大変よくわかりました。(参加者)

 

喜多村園子氏からは「地元新潟で「小林二郎」についてお伝えすることができ、ようやく本望が達せられました。感謝しております」とのコメントが届いております。

喜多村氏による小林二郎についての出版は、『小林二郎伝』(小学館スクウェア2018) {続・小林二郎伝』   (小学館スクウェア2022)

の二書です。

 

2023年12月29日 (金)

7山岡鉄舟研究会の『活動報告』冊子発刊

この度、山岡鉄舟研究会の『活動紹介』が北村豊洋氏によって著していただき発刊いたしました。

北村氏が14年前、当会に入会されてからの記録と、主なる講演について概要を述べられている。

山岡鉄舟に関して各地で勉強会が存在するが、研究会と称し、毎月「例会」を開催しているところは当会しか存在しない。

「例会」の開催内容は、その都度、ホームページの「例会報告」で公開しているが、このような冊子での発刊は初めてである。

北村氏に感謝申し上げるとともに、このような活動を継続することができたご関係の皆様に感謝申し上げます。

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2021年12月25日 (土)

山本紀久雄の出版

山岡鉄舟研究会会長の山本紀久雄が、2021年12月末に株式会社ベストブックから以下を出版いたしました。

『江戸無血開城、通説を覆す 一枚の絵に隠されたを読み解く』 定価1650円(税込み)

上記書籍のポイントは以下の通りであります。

  • 明治神宮外苑の聖徳記念絵画館に『江戸開城談判』壁画が掲示されています。

       これは慶応4314日の西郷隆盛と勝海舟による「談判」によって、江戸無血開城が成されたのだと、結城素明が描き、一般的に広く理

      解され、中学生の教科書にも掲載されております。

      しかし、『明治神宮叢書 第十八巻 資料編(2)』に、海舟の三女の夫・目賀田種太郎による『目賀田男爵談話筆記』が掲載され、同筆記の

     中で「勝海舟が談判はなかった」と発言した旨が明記されております。

      この海舟発言を受け入れるならば3月14日は「談判」ではなく、「会見」であったわけです。

    「談判」によって江戸無血開城が成され、壁画タイトルも「談判」とされた背景には、明治35年に発刊された吉本襄著の合冊本『氷川清話』

     が存在していることを本書で解説いたしております。

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  • 結城素明が描いた『江戸開城談判』壁画では、勝海舟の大刀が左脇に位置されております。

     これは武士の刀作法ではあり得ない描き方であり、壁画作成の準備段階で描かれた「下絵」と「画題考証図」では大刀が右脇位置に描かれて

     います。

     しかし、結城素明は大刀を左脇に変更し描いたのですが、その背景には、やはり明治35年に発刊された吉本襄著の合冊本『氷川清話』が存

     在していることを本書で解説いたしております。

 

 

2021年11月19日 (金)

喜多村園子氏が講演

当会の会員である喜多村園子氏が20211031()、主催・三条市歴史研究会、共催・三条市・後援・三条新聞社と栄商工会のご協力を受け、新潟県三条市立図書館において、「小林二郎の生涯」について講演されました。

小林二郎とは、山岡鉄舟の弟子にあたり、喜多村氏が著書『良寛を今に伝えた~小林二郎伝~一幕臣の足跡』(小学館スクウェア 2018)にて研究成果を詳しく述べており、この著書をもとに講演されました。

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講演後、各方面から以下の声が寄せられています。

  • こういう方(小林二郎)が栄町から出たということを知って衝撃を受けた。このような人が出たことを多くの人に、知らしめたいとみんなで話した。
  • この本のお陰で良寛が注目された。今後、二郎を起点にしてほ かの人物にも目を向けたい。二郎の生い立ちをもっと知りたい。
  • 小林二郎については、初めて知りました。 今まで知る人の少なかったであろう先人の足跡を追って 精力的に研究、執筆、講演活動を行っていらっしゃる喜多村先生の姿勢にも敬服しました。
  •  
  • 小林二郎が、片桐省介の弟とは全く知らなかった。これからは、二郎の少年期についても調べてほしい。

等で、今回の講演が関心高く受け止められました。

なお、喜多村園子氏は、来春『続 小林二郎伝』を出版され、今回の出版同様に様々な視点から小林二郎を追及した研究成果を論じられます。ご期待願います。

2018年9月26日 (水)

シンポジウム「彰義隊の上野戦争-明治150年に考える」

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連絡先:、shogitai18@gmail.com(シンポジウム問合せアドレス)

2018年6月25日 (月)

山岡鉄舟研究会発行資料が参照・引用されました

水野靖夫氏が記述作成され、2016年2月例会でご発表された『英国公文書などから読み解く江戸無血開城の真事実』が、原田伊織著『虚像の西郷隆盛 虚構の明治150年・明治維新という過ち・完結編』 (講談社文庫)の第四章7項「江戸城無血開城という美談」の338・339頁に、下記のように参照・引用されました。

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水野靖夫氏に感謝申し上げるとともに、山岡鉄舟研究会の存在意義と活動状況が、認識されたものと判断いたします。

2017年4月 2日 (日)

富岡製糸場への夢の道が実現・・・山岡鉄舟研究会員・高橋育郎氏

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富岡製糸場への夢の道始まりは、2015年(平27)5月。習志野市谷津「生涯青春の会」でのこと。
 絹の研究家・松本信孝氏から絹の話を伺い、目から鱗の落ちる思いがした。
 彼はそのとき、絹製品を売り込むために音楽とコラボしたいといわれた。共感を得た私は早速、作詞した。するとすかさず筑波の「農業生物資源研究所」から、光る蚕が成功したので、最先端技術の先取りの意味で、歌詞に「光る」を入れてほしいとアドバイスがあった。
 そこで出来たのが、童謡「光るお蚕さん」とシャンソン「虹のハンカチーフ」である。
 作曲は、童謡が習志野市在住、童謡協会の高橋知子さん。シャンソンはシャンソン・カンツォーネ協会の中山エミさんが当り、歌っていただいた。そこで、童謡はお琴の伴奏がいいということで、JR技術畑のトップクラスの高松さんにお願いして、日高さとみさんにおせわになった。それぞれCD録音したころ、昨年5月に六本木ヒルズのメイ・ウシヤマ学園で第1回サミットがひかれ、この2曲を聞いてもらったのが今日に繋がった。
 富岡製糸場への招聘通知は、初めに京丹後市商工振興課長から。続いて主催の経済産業省関東経済産業局からであった。
 3月17日当日、松本氏と一緒に出掛けた。上野から久々の新幹線で高崎まで、そこで上信電鉄乗り換えて上州富岡駅で下車し、徒歩11分の製糸場へ入った。正門の目の前は赤煉瓦の東置繭所であり、奥には西置繭所があり、この二つの建物は昨年国宝になった。その東置繭所で14時半から「絹のみち未来サミット~絹のみちから絹の国へ~」シンポジウムが始まった。
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 先ずは挨拶からで、主催者の関東経済産業局長。開催地富岡市長。そして関係自治体(出席71名)と続き、「絹のみち」プロジェクトの概要説明。そして成果のプレゼンテーションに入った。
 第1部が信州シルクロード岡谷蚕糸博物館館長。上武絹の道、日本シルクロード、広域スタンプラリーの説明。
 第2部は、各地のモノづくりの取り組みとして、新潟県五泉市の絹織物と各地の染色加工との連携による新たなものづくり。先進企業7社連携による新たなアパレルブランドの創設。産地間連携による伝統的絹織物「銘仙」の新たな展開。産官連携・結城市中心によるおみやげ物開発。                        
 さらには、各地に広がる未来に向けた絹のみちの取り組みを、京丹後市市長はじめ地元富岡市長や前橋市長らが、こぞって手を結び日本の絹文化復興に意気盛んなところをアピールしました。
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 そして、17時15分からは会場を近くのホテルに移して交流会となった。ステージには
スクリーンが張られ、「光るお蚕さん」と「虹のハンカチーフ」が紹介されて、CDによって歌が流された。私は松本氏と二人、ステージに立ち、絹製品のことや歌にまつわる話などコメントし、動画になった。歌詞は200部配られた。
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養蚕業を国の基幹産業に押し上げ、絹の伝統文化を世界に発信しようとの意気込みが十分に見て取れた。

2016年10月 6日 (木)

山本紀久雄の講演・いわき市の天田愚庵顕彰会(愚庵会)

2016102()、福島県いわき市の天田愚庵顕彰会(愚庵会)主催の「縁・講演会」(会場・いわき市生涯学習プラザ大会議室4)にて、山岡鉄舟研究会の山本紀久雄会長が講演いたしました。

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講演内容は、山本会長が月刊ベルダ誌で連載中の「山岡鉄舟が影響を与えた人物…天田愚庵編」で取り上げ検討してきたもので、講演ストーリーは

 

1. 愚庵はいわき市が生んだ偉人であり

2. 愚庵を理解するためには

3. 愚庵の若き時代の奔放な生き方と

4. 最期にみせた素晴らしい逝き方

5. その格差に注視すべきだが

6. それには鉄舟が大きく影響しており

7. そこに磐城平における戊辰戦争発端要因が絡んでいる

 

と述べ、その戊辰戦争発端要因への探求スタートは、磐城平藩の第5代藩主安藤信正(鶴翁)明治元年10月、戊辰戦争後、東京で謹慎、そのときに平藩家老・年寄に寄せた書(上妻又四郎著『磐城三藩の戊辰戦争』参照)に、

「此の度の大事件畢竟我等不行届より生じ候儀にて其の方共も容易ならざる辛苦致させ気の毒の至りに候、去り乍ら彼の砌りの事情に止むを得ざる場合もこれ有り候儀は其の方共も能く心得候筈、今更是非得失の論議は其れ必ず無用にて候」とあり、

 

さらに「磐城の戊辰戦争は旧幕府を脱走した遊撃隊の人見勝太郎・伊庭八郎によって始められたのである。人見が仙台藩・古田山三郎の要請によって平潟奪回の軍事行動を起こしたという史料は見当たらなかった。この軍事行動は、人見勝太郎や伊庭八郎と請西藩主林昌之助らのある意味で勝手な単独行動から始まったのである。史料を丹念にたどるならば、磐城三藩の戊辰戦争は明らかに巻き込まれて始まったのである」と同書は結論づけ、

 

従って「前藩主安藤鶴翁の手紙にあった戦争の敗北に至る経緯が『止むを得ざる場合これ有り候』という言葉は事実を伝えているとしか言いようがないのである」としている。

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 この「磐城の戊辰戦争」を始めた旧幕府遊撃隊の人見勝太郎・伊庭八郎には、彼らの脱走を止めるべく、鉄舟が箱根路に出向き、説得したが、失敗し、それが「磐城の戊辰戦争」となって愚庵の父母妹が行方不明、以後、愚庵が20年もに渡る捜索行動に結びついていく。

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                                         (いわき市愚庵・いおり)

 

鉄舟は、明治5年、愚庵と始めて会った際、愚庵が訴え告げる「父母の所在を尋ねんこと是のみ一生の宿願に候」を耳にしたとき、禅修行で鍛え抜いた身、その顔貌には出さなかったが、胸中、湧き上がる自責の念を感じざるを得なかった

 

箱根・御殿場に赴き、戦いを止めるよう遊撃隊を説得したが出来ず、その結果が、今、眼前にいる五郎に、痛ましい苦しみと、真の悲しみ、強い覚悟というべき決意を与えている。

 

鉄舟は、愚庵と会った明治5年から8年後、師の滴水和尚から印可を受けるが、既に、この頃から師家としての心境に達しており、晩年には「世間は吾が有、衆生は吾が児」、即ち「世の中の出来事は一切自分の責任である、生きとし生けるものは、すべて自分の子供である」という境地に達していた。

 

このように宇宙界のすべての現象が我が身と直結しているという、空恐ろしいまでの心境となったほどであるから、まして自らが関与した箱根・御殿場の説得失敗に連なる五郎に対しては、深く想いを新たにした。

 

そのような境地にある鉄舟、五郎が語る父母妹捜索話に、深い悔恨を持つとともに、五郎の脳細胞奥底に隠れている潜在的な「ある特別な才能」を一瞬にして見抜き、このときから格別の感情を抱き、特別な想いを持ったと解説し、講演を締めくくった。