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2023年12月

2023年12月29日 (金)

7山岡鉄舟研究会の『活動報告』冊子発刊

この度、山岡鉄舟研究会の『活動紹介』が北村豊洋氏によって著していただき発刊いたしました。

北村氏が14年前、当会に入会されてからの記録と、主なる講演について概要を述べられている。

山岡鉄舟に関して各地で勉強会が存在するが、研究会と称し、毎月「例会」を開催しているところは当会しか存在しない。

「例会」の開催内容は、その都度、ホームページの「例会報告」で公開しているが、このような冊子での発刊は初めてである。

北村氏に感謝申し上げるとともに、このような活動を継続することができたご関係の皆様に感謝申し上げます。

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2023年12月27日 (水)

「江戸開城談判」の捏造(「海舟神話」)

令和51122日、1220日例会発表 水野靖夫氏

Ⅰ 「海舟神話」

1)吉本襄の『氷川清話』(序言)――第一の捏造

中心テーマ「江戸開城談判」の捏造であるが、これは「江戸無血開城」が西郷・勝の江戸での談判で実現したというのは捏造という意味である。これを「海舟神話」と呼ぶことにする。すなわち「海舟神話」とは「江戸開城談判」がフィクションであり、捏造であるという意味である。

 我々の研究成果は、 

  ①『江戸無血開城、通説を覆す』(山本紀久雄 ベストブック)

  ②『定説の検証 「江戸無血開城」の真実』(水野靖夫 ブイツーソリューション)

2書に込められている。

①は、吉本襄の『氷川清話』(「序言」)が捏造であることに気付き、「壁画」(江戸開城談判)の刀の位置を改変し、画題を「談判」と命名した理由を突き止めた点が画期的である。

そして②は、それでは歴史の「真実」はどうだったのかを、史料を駆使し徹底的に分析した。

 「海舟神話」の元凶は2つある。先ず、第一の元凶である吉本襄の『氷川清話』の「序言」について述べる。

 吉本襄の『氷川清話』は明治30年(1987年)に出版。相次いで続・続々・合冊が出版されて売れ続け、海舟の談話といえば『氷川清話』と言われるようになった。だが、吉本襄が直接勝から聞いた話はごく僅かで、大部分は他人の筆記録(新聞・雑誌)を面白くするため改竄・リライトした。そしてその「序言」には、勝海舟の一生が記載されているが、その「江戸無血開城」の箇所が「海舟神話」すなわち捏造なのである。だが一般には史実と受け止められ、「尋常小学校修身書」の解説書にまで載るようになった。

 吉本襄の「海舟神話」(序言)捏造の内容は次の通り。

① 慶喜が勝に対処策を講ずることを命じた。

② 勝が、山岡鉄舟を西郷のもとに派遣した。

③ 勝は西郷と面会し、慶喜の謹慎を陳述し、江戸攻撃中止の折衝に尽力した。

④ 西郷は勝の要求を容れ、江戸総攻撃を中止し、状況を大総督に言上した。

⑤ これは勝の「絶倫の大手腕」である。

上記の捏造に対する真実の歴史は以下の通り。

① 慶喜が後事を託したのは勝ではない。実際に取り仕切ったのは大久保一翁ら若年寄のグループ

② 鉄舟を派遣したのは慶喜であり、「本文」にも勝と鉄舟はこの時が初対面と書いてある。

③ この部分は後述の「(3)3会談――歴史の真実」で詳述する。

④ 西郷は、勝の要求は保留。「15日の江戸総攻撃」を「延期」したのであり、「江戸総攻撃自体」を「中止」した訳ではない。しかも延期の命令は「仮令」。

⑤ 「絶倫の大手腕」と言うが、降伏条件緩和の「嘆願」は、重要条件は悉く拒否されている。それでも徳川方は黙って呑んでおり、「大手腕」などと言えない。 

 松浦玲氏は、吉本襄の『氷川清話』の信憑性を鋭く指摘し(1973年 講談社判『勝海舟全集』「氷川清話』)、改竄や収録洩れを是正したが、日清戦争・伊藤博文内閣批判等時事性に注力し、残念ながら肝腎の「江戸無血開城」に関する「序言」の創作を見抜けなかった。松浦氏も駿府談判での決着を認めず、「海舟神話」の信奉者であった。そのため、『氷川清話』出版から120年以上たった今日まで、一般に「海舟神話」が史実として信じられ続け、未だに多くの教科書にまで載っている。松浦氏の講談社判『氷川清話』が出版されて以後も、その「序言」が捏造であることに気付かない学界とは何なのだろうか。

 

2)結城素明の「壁画」(江戸開城談判)――第二の捏造

 「海舟神話」の第二の元凶は、これを大いに流布せしめた、結城素明が描いた聖徳記念絵画館の「壁画」(「江戸開城談判」)である。ポイントは画題の「談判」と勝の「刀の位置」改変である。

「壁画」の制作は、「正面より描写するより側面から描写する方が真実を現わす」として「下絵」「画題考証図」「壁画」と、当初より江戸城明渡し場面ではなく、江戸薩摩藩邸での西郷・勝の会談が描かれた。しかも画題を「嘆願」ではなく「談判」とした。それは制作関係者が皆「海舟神話」の信奉者であったからである。結城素明は、本名・貞松も、号・素明も勝が命名。さらに壁画の寄贈者が西郷・勝それぞれの孫であり、そういうことを忖度もし、西郷・勝の会談を、「嘆願」ではなく「談判」にしたかった。

 さらに勝の刀の位置を左脇に改変した。武士の作法によれば刀は右脇に置く。武術の心得のある人、武士の作法を知る人なら、刀の位置の不自然さに気付くはず。「下絵」「画題考証図」では右脇であったが、結城素明は「談判」であると強調するため、原案「画題考証図」の勝の刀の位置を、武士の作法に反して右脇から左脇に改変した。ほとんどの教科書に「壁画」「海舟神話」が記載され「壁画」を見たことのない人はいない。

 刀は、三種の神器草薙剣に象徴されるように、日本人にとっては単なる武器ではなく、神聖なものである。この点に疑問を抱き、究明した学者がいないと言うのは驚きという他ない。

 

3)3会談――歴史の真実

 「3会談」とは「江戸無血開城」決定に至る3つの会談のことである。

① 駿府談判

 「江戸無血開城」は新政府軍参謀の西郷隆盛と徳川慶喜により駿府に派遣された山岡鉄舟との談判により決定した。慶喜の謹慎を縷々説明した鉄舟に、西郷は降伏条件を示した。鉄舟はその内の1か条「慶喜の備前お預け」だけは受け入れられないと拒否。新政府軍は慶喜追討軍であるから、慶喜の首を取るか、せめて身柄確保するのが朝命である。西郷は2度まで朝命であると主張し談判となった。鉄舟が「それでは立場が逆だったとしたら、主君島津公を差し出せるか」と迫ると、西郷は返答に窮し、「徳川慶喜殿ノ事ニ於テハ、吉之助屹ト引受ケ取計フベシ。先生必ズ心痛スル事ナカレ」と言ったので、鉄舟は他の条件「城・軍艦・武器の引渡し(武装解除)」等を呑み、ここに「江戸無血開城」は実質決定した。

 まずこの西郷の言葉は、「慶喜の備前お預け」の撤回であり、これを保留したのではない。また参謀の西郷には朝命を勝手に撤回する権限などないから、これは実質決定であり、正式決定は京都朝議である。

② 京都朝議

 西郷は、鉄舟にしかるべき肩書がないので、江戸でしかるべき地位の誰かに「確認」し(大久保一翁でも、勝海舟でも他の若年寄でもよかった)、朝命撤回の正式決定を得るため京都に帰った。西郷は当初駿府の大総督府に帰ったが、大総督も自分には権限がないとして西郷を京都に帰らせた。京都では慶喜の助命に対し強硬論があり、西郷は困窮したが、木戸孝允の側面支援によりやっと助命が叶った。西郷は鉄舟との約束を果たし、ここに「江戸無血開城」は正式に決定した。なお他の重要条件(武装解除)は否決された。

③ 江戸嘆願

 西郷は「京都朝議」の前に、江戸でしかるべき肩書の勝海舟(陸軍総裁)に会い、鉄舟との約束を「確認」した。駿府で「保留」し江戸で決定したのではないので、「江戸確認」という表現は使わない。その時勝は降伏条件緩和の嘆願書を提出したので、「江戸嘆願」という表現を使う(「海舟日記」〔諸有司之嘆願書を渡す〕)。しかしそこで嘆願内容についての「談判」はなかった。重要なのは、江戸で「談判」がなされたという史料は存在せず、逆に「談判」はなかった、江戸では何も決まらなかったと言う史料は存在する。

  (ア)「海舟日記」…「我壱人今日是等を決する不能」(西郷の発言)

  (イ)『氷川清話』…「拙者の一存にも計らい難い」(西郷の発言)

  (ウ)目賀田種太郎の「談話筆記」『明治神宮叢書』第18巻)…「薩摩邸会見ノ時ハ……素ヨリ開城条件ハ已ニ予知シ居ルコトナレバ夫等ノ

           談判ハナク」(勝自身の発言)

 以上で重要なことは、「江戸無血開城」は、駿府で実質決定、京都で正式決定し、江戸では何も決まらなかったことである。某教科書会社は「山岡が静岡会談で保留にしてきた慶喜の処遇を西郷と山岡と31314日に決めたのは、勝である」という文を根拠に、「江戸無血開城」は江戸で決定したと主張した。こうした誤った解釈がなされる惧れのある「保留」「慶喜の処遇」と言った曖昧な表現は避けた方がよい。

Ⅱ 教科書会社への働きかけと文科省の対応

1)教科書会社への働きかけ

 2018東京都江戸博の勝海舟常設展示に抗議するため、東京都・生活文化局・総務部・総務課長に面会したが、その結果江戸博より教科書に「海舟神話」が載っている(山川・実教・東京・明成・清水・第一)という文書回答(副館長・学芸員)が来た。これにより教科書が修正されないと、全てが変わらない、逆に教科書が修正されれば全てが変わると認識するようになった。これが教科書会社へのアプローチの最大の動機である。

 そして2021年に前記の2著を出版し、翌2022. 11.30文科省・初等中等教育局・教科書課・教科書企画官を訪ねることになったのである。ここは教科書検定をする部署なので、ここから教科書会社に指示を出してもらえばよいと考えた。ところが、教科書の修正は直接教科書会社に依頼するようにと言われたため、教科書会社への働きかけが始まった。

 中学・高校の日本史の教科書を発行しているのは12社であることが分かった。各社の教科書の「江戸無血開城」に関する記載状況を調べてみると、2社が無血開城の記載がなく、10社に何らかの記載があった。

 さらに教科書検定制度を調べると、教科書作成・検定・販売・使用開始と4年間かかることが分かった。つまり文科省の検定は4年に1度である。そして今年令和5年度は、中学日本史の第2年目の「検定」の年に当たっている(高校は1年後)。今年度検定に修正が間に合わないと次回検定が令和9年度、教科書使用開始が令和11年度となってしまい、それまでの間捏造された歴史が教えられることになってしまう。

 そしてここから1年間に渡る長い教科書会社との交渉が始まった。教科会社に電話し面会を求めたが、全て断られた。そこで我々の2書を送付し、教科書の記載の誤りを指摘し、削除・修正の検討を依頼した。その後何度も電話し、送った2書が大部で中々読み通すのに苦労すると考え、2書のポイントを3頁ほどにまとめたものを送り、修正の検討を促した。

 1月のWebサイトへの質問から始まり、10カ月ほど電話・手紙攻勢を続けた結果、我々の熱意が伝わったためか、送った資料「海舟神話」ポイントの主旨が理解されたためか、10月までに合計4社から、教科書修正の回答があった。ただ文部科学省の規則で、出版前に内容を明らかには出来ないため、いつ、どのように修正されるかは明らかにできないとのことであった。現状、12社中2社は当初から「海舟神話」の記載がなく、4社は我々の主張に納得し、いずれ何らかの形で修正を確約。残り6社が今後検討するという状況である。

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2)文科省の対応

12月15日に、山本会長と水野が文科省初等中等教育局を1年振りに訪問。教科書会社の対応の結果を報告すると共に、文科省の対応を聞いた。そのポイントは以下の通り。

①教科書検定は4年以1度だが、4年後の次回検定まで待たなくとも、来年度に改めて修正願いを出すことは可能。

②教科書の記載は原則教科書会社が決めるものであるから、それなりに筋道だっていれば、教科書会社によって記載内容が異なっていても、必ずしも文科省が一方を否定するものではない。その意味では文科省は飽くまで受け身である。

③15~20分のアポであったが、40分も我々の話を聞いてくれて好意的であり、教科書会社からの修正要求を受け入れる素地はできたと考えられる。

〔40分の間に以下のような話題が話し合われた〕

○「論文を書いたらどうか」という提案があったので、「過去に何回か書いたが(『日本歴史』)、学会が天動説のためか、採用されなかった」と答えた。

○桶狭間の戦いが奇襲攻撃というのはフィクションという説があるが、奇襲攻撃と書いてある教科書もある。

2000年に遺跡発掘の捏造が発覚した際は教科書が急遽修正されたのではないかと、「海舟神話」が同じ捏造であることを示唆した。

○「江戸城受取」の絵を示して、「壁画」と差し替えれば修正が容易であることを説明した。

 

2023年12月24日 (日)

刀剣思想

山本紀久雄が『江戸開城談判』壁画を描いた画家・結城素明の刀剣思想について20231220日に発表いたしました。

聖徳記念絵画館の壁画「江戸開城談判」を描いた「結城素明」は、刀の取り扱い作法を無視し、右脇から左脇に刀を配置し描いている。

これは、刀剣思想について理解していないのではないかという疑問から、日本における刀剣思想について以下のように解説した。

剣とは両刃(りょうば)、諸刃(もろは)、つまり両サイドに刃がついたものである。刀とはそれを縦に割ったような形の片刃(かたは)のものをいう。

この区別は、既に日本に刀剣が伝来する前の古代中国においてなされていた。使われはじめたのは剣の方が先である。

古代中国の春秋時代にあたる紀元前6世紀から前4世紀頃の呉越(ごえつ)地方が、刀剣の歴史と思想の起点と考えてよい。

参考とするのは『刀剣の歴史と思想』(酒井利信著 日本武道館刊 2011)である。

この当時の日本列島は、中国大陸の文明とは格段の差があり、大陸から押し寄せた金属文明の代表格であった刀剣が、すぐには日常的な道具とはならず、人々は刀剣に非日常的な神性を感じ、神々との交信の具としてこれを崇(あが)めた。

特に呪術(じゅじゅつ)宗教観念が支配的であった古代の日本では、剣が呪具として重用された。つまり、剣は「神を祀る呪具」であり、日本人は剣を神聖視し、剣を神々との関係において語る「神話」を生み出した。

その事例として、簡単に天皇家に伝わる天孫降臨神話を述べた。

天上界の統治者である天照大神は下界をも自らの子孫に納めさせようと考えるが、下界である葦原中国(あしはらのなかつくに)がひどく騒がしく不安定なので、これを武神タケミカヅチに平定させた。

この平定を受けて、天照大神の子孫、天津彦彦火(あまつひこひこほの)瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が下界を治めるべく降臨する際に八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の三つの宝=「三種の神器」を与えたというのが天孫降臨神話。

これを歴代天皇が皇位の標識として伝えてきたという実態から考えると、剣は「神を祀る呪具」であり、剣は「祀られる存在」でもあったことがわかる。

草薙剣といった古代の剣が、熱田や石上、鹿島といった古代神話に由来する神道の社で、神の象徴として祀られている。または安置されているという現実がそれであり、「祀る呪具」も、「祀られる剣」も、いずれも神との関係を確立するものである。

江戸時代を代表する武士道書である井沢蟠竜(いざわばんりょう)の『武士訓』に以下の記述がある。

≪霊剣は決断を表し給ふ。至剛無欲にかたどりて。内に私欲奸佞(かんねい)の心敵を滅し。外に邪悪暴逆の賊徒を誅し

この意は、剣を、自らの内にある私欲やよこしまな心、あるいはおもねる心などを心の敵として滅ぼし、一方、身の外にある邪悪暴虐の賊徒をも誅するものとしている。斬るべき敵は自らの内外に二つあり、まさしく「我も斬り彼も斬る剣」であると。

徳川将軍の剣術師範を務めた柳生家、新陰流は「活人剣思考」というものを提唱した。それは次のようなものである。

万人を苦しめている悪人がいるとする。この悪人一人を斬る兵法は、結果として万人を活かすことになるというものであり、世のため、人のために剣の技術を行使するという柳生流の考えで、それが柳生家の『兵法家伝書』である。

≪人をころす刀、却而(かえつて)人をいかすつるぎ也

人を殺す刀が人を活かす剣に繋がるという、柳生が主張するところの理念を端的に表現した文言である。これを「殺人刀(せつにんとう)」「活人剣(かつにんけん)」という表現で使い分けている。見事なものである。

このように刀剣の思想を検討してみると、この思想に一貫していえる大前提は、刀剣を単なる武器としてではなく、神聖なものとしてみているということである。

単なる「人斬り包丁」ではない、はるかに武器それ以上の神聖なるものとして刀剣をみているのである。

そして剣は、神話の中で、天上と地上、つまり、神々の世界と人間の世界を行き来し、この二つの世界を繋ぐものとして描かれる。

このイメージは日本人の精神世界において、古今、深く根付いており、だからこそ剣は神々と関係をもつものとして認識されている。

天と地の二つの世界が精神的にはっきりと区別される中、剣だけは神話上、この二つの世界を繋ぐことができた。このことが、剣の神聖性の根拠づけられる方として最大の特徴である。

だが、結城素明は、この刀剣の思想を知らずして「壁画」を描いたのではないかと推測する。又は知っているが無視したのかもしれない。

いずれにしても「壁画」の刀配置構図は刀剣の思想から言って無理があり「人斬り包丁」に止まっている。

このような刀剣思想を知らない現代人が、今日も聖徳絵画館で「江戸開城談判壁画」を眺めている。我々は「刀剣思想」からこの壁画を見ていきたいと思う。

2024年1月例会開催

2024年1月例会は岡崎妙春氏にご発表いただきます。

 

  テーマ   「剪画・せんが」とは?

  日程    2024119()

            東京文化会館の都合で19日の金曜日開催となります

  時間    1830分~20

  会費    1500

  会場    東京文化会館・中会議室1

2023年12月 4日 (月)

2023年12月例会のご案内

2023年12月は水野靖夫氏と山本紀久雄が発表いたします。 

テーマ 水野靖夫氏

     「海舟神話」補足説明 

    山本紀久雄

              『江戸開城談判』壁画を描いた画家・結城素明の刀剣思想

               氷川清話と慰安婦問題との類似性

 

日程    2023年1220()

時間    1830分~20

会費    1500

会場    東京文化会館・中会議室1

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