1. 2023年2月例会開催結果
2023年2月8日は山本紀久雄が「九代目市川団十郎と山岡鉄舟 前編」を、概要以下のように発表いたしました。
最初に「十三代目市川団十郎白猿」襲名披露公演について解説、楽屋話として歌舞伎研究家・常磐津節太夫である鈴木英一氏からお聞きした内容を紹介。
九代目は、七代目の五男として天保9年(1838)10月に生まれ(鉄舟は天保7年)、生まれて7日目に、河原崎座の座元、六代目河原崎権之助の養子となり長十郎(以下、九代目と称す)と名付けられる。
九代目は朝の六時頃から稽古、夕の五時六時まで、日曜の休みはなし、晩の御飯を食べて、始めて自分の身体になるという厳しい教育を受けた。
13歳になった少年団十郎、今の芝居皆嘘だと気づく。幕府は歴史上の事件を演じる事を禁止、仮にその時代の舞台や浄瑠璃に歴史上の材料を採用しようとする際は、時代を改め、人名を変えることを要求していたので、当時の舞台は歴史史実と異なる構成であった。
九代目が31歳の時、明治維新が到来。明治政府は「都(すべ)テ事実ニ反ス可ラス」と指示。九代目は「すべての拵えをその時代を調べた」舞台で展開する具体化へ歩みだした。
これが「活歴もの」であるが、見物客は「故実を正し」た「今までの芝居において見ることがなかった新式」であったため、「事実」として受けとめるどころか、「絶対否認」という拒否反応を示した。
九代目は「ナニ見物が二人になれば止めますが、三人までなら飢えて死んでもやり通します」と、客の危惧を顧みず、「真実(ほんもの)」の追求に向ってますます意地を張って邁進した。
結果として歌舞伎座の経営状態は「団十郎で損をして菊五郎で埋める」という実態、結果として九代目は貧乏のどん底に陥った。
この債務に追われる生活は明治20年(1887)まで、明治30年(1897)60歳ごろになると一変した。
富裕者として築地の邸宅も豪勢になり、明治33年(1900)に神奈川県茅ケ崎に狐松庵(土地6000坪)別荘をつくり、更に日本銀行に5万円に及ぶ預金を持つ身分になった。
では、どういう経緯で、九代目は現状から脱皮し得たのか。そこには鉄舟からの影響があったはず。その経緯は2023年6月例会で報告いたします。
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