2023年1月例会開催結果
2023年1月25日は、東洋大学大学院博士後期課程在籍・明治維新史学会会員の小林哲也氏から
「江戸無血開城」を考える―『江戸無血開城の史料学』に寄せて―
についてご発表いただきました。
小林氏は、まず幕末期、特に文久期(1861~1863)から遡って考えることで、諸問題を考えていくと述べられ、主なる12著者による先行研究書に触れた後、いくつかの新見解を解説されました。
- 徳川慶喜が上表した、いわゆる「大政奉還」とは、「政権奉還/政権奉帰」と呼ぶべきではないかと次のように指摘された。
幕末当時は「大政」、あるいは「政権」、そして「奉還」あるいは「奉帰」が用いられていた。例会資料で紹介した「政権を朝廷ニ奉帰建白写」(松戸市戸定歴史館(他)編『没後100年徳川慶喜』展図録。原史料は松戸市戸定歴史館蔵2013年)では「奉帰」が用いられており、渋沢栄一編『徳川慶喜公伝』でも「政権奉還」と記されている。このように「大政奉還」は幕末当時の用語でなく、後世の造語と考える。
なお、山本が昨年12月24日(土)、明治神宮主催の聖徳記念絵画館セミナーで副館長から壁画について解説を受けた際、「大政奉還」 (作者 邨田丹陵) 壁画が、最も各方面から引用依頼が多いと述べておりましたこと付言いたします。
- 坪井信良書簡(2月30日付)にみる江戸無血開城前の様子
坪井信良とは幕末・明治期の蘭方医で慶喜の侍医であるが、以下の書簡を遺している。(東京大学明治維新史料研究会・宮地正人編『幕末維新風雲通信』1978年12月)(岩下哲典氏よりご教示)
「○二月三日ニ鳳輦二条城エ御幸有之、同十五日ニ大坂御幸ト之事、是ハ征東之訳也。十六日陸軍勢揃、廿日海軍勢揃ニテ東下之筈。已ニ勅使ハ東海道筋ヲ下リ、昨今駿府逗留、三月五日ニハ江戸入之筈。其大意二十ヶ条之罪状ヲ詰問シ、五ヶ条之題難之由、・・・」
上記の「五ヶ条之題難之由」が鉄舟に下された5カ条ではないかと、現在研究中とのこと。新しい史料に基づく小林氏の研究成果が待たれます。
- 元田永孚「還暦之記」(明治11年)に記された江戸無血開城(元田竹彦・悔後宗臣編『元田永孚文書』第 1 巻 伝記 日記 精興社1969 年)(この史料は、全生庵副住職 本林義範氏にご提供いただき、東洋大学教授 岩下哲典氏と小林哲也が考察)
「王師江戸ニ逹スル頃ニ德川慶喜恭順罪ヲ待チ城ヲ開テ 命ヲ奉スルノ誠心相顯ハレ 朝議寬宥ノ典ニ處セラレタリ是皆勝安房大久保越中山岡鐵太郎三人ノ首トシテ謀ル所ニシテ其王師ノ營ニ使セシハ山岡ニシテ西鄕ト能ク談判セシニ由テナリ故ニ王師刄ニ衂ラス江戸百萬ノ人民一人ヲ殺サスシテ德川氏モ亦其身家ヲ全フセシハ山岡勝大久保三人ト西鄕トノ功ト謂ハサルへカラサルナリ」
この元田永孚「還暦之記」は、鉄舟直筆による「慶応戊辰三月駿府大総督府ニ於テ西郷隆盛氏ト談判日記」(明治15年成立 全生庵所蔵)より早い時期に鉄舟自身が語った史料として重要であると指摘された。
小林氏のご発表、さすがに大学院博士後期課程在籍の新進気鋭研究者に相応しい内容で、多角度から集積整理、鋭い視点での分析、新史料に基づく新鮮な考察が加わり、実に参考になりましたこと、厚くお礼申し上げます。
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