2022年2月例会開催結果
2022年2月例会は、山本紀久雄から2021年12月末にKKベストブック社から出版いたしました
『江戸無血開城、通説を覆す 一枚の絵に隠された”謎”を読み解く』
について、以下のように説明をいたしました。
- 海舟が「談判ハナク」と発言した史料を発見
明治神宮外苑の聖徳記念絵画館に『江戸開城談判』壁画が掲示されている。
これは慶応4年3月14日の西郷隆盛と勝海舟による「談判」によって、江戸無血開城が成されたのだと、結城素明が描き、一般的に広く理解され、中学生の教科書にも掲載されている。
しかし、『明治神宮叢書 第十八巻 資料編(2)』(明治神宮社務所2003)に、海舟三女の夫・目賀田種太郎が大正8年(1919)に述べた『目賀田男爵談話筆記』が掲載されており、この筆記の中で勝海舟が「談判ハナク」と発言した旨が明記されている。
この海舟発言を受け入れるならば3月14日は「談判」ではなく、「会見」であったことになる。
また、鉄舟も慶応4年3月14日の会見に同席していて、明治15年3月の直筆記録『西郷隆盛氏ト談判筆記』(全生庵 大正7年1918)で《薩摩邸ニ於テ西郷氏ニ、勝安房ト余ト相会シ、共ニ前日約シタル四ヵ條必ズ実効ヲ可奏ト誓約ス。故ニ西郷氏承諾進軍ヲ止ム》と記しているように、『目賀田男爵談話筆記』と一致するので、「談判」ではなかったのは明らかである。
「談判」によって江戸無血開城が成され、壁画タイトルも「談判」とされた背景には、明治35年に発刊された吉本襄(のぼる)著の合冊本『氷川清話』が存在していることを本書で解説した。
- 吉本襄の『氷川清話』 明治30年(1897)11月発刊
明治31年(1898)5月続編発刊
同年 11月続々編発刊
明治35年(1902)11月合冊本発刊 これがベストセラーとなる
- 『勝海舟全集21氷川清話』(江藤淳・川崎宏・司馬遼太郎・松浦玲編 講談社 昭和48年1973)発刊。『氷川清話』(江藤淳・松浦玲編 講談社学術文庫 平成12年2000)発刊。
- ①の1902年と②の1973年では71年という間隔があり、2000年とは98年という長い間隔が存在。⇒これを現在の我々は読んでいる。
- 聖徳記念絵画館の壁画作成経緯
大正4年(1915)5月に明治神宮奉賛会成立(会長・徳川家達さと)
大正6年(1917)2月に絵画館委員任命、二世五姓田芳柳が下絵作成指名され、画題考証図へとつながる
画題は大正7年(1918)1月の段階で85題と内定していたが、最終的に大正11年(1922)7月に80題と決定
大正15 年(1926)10月絵画館竣工。画家たちは各自の作品を納入し始め、最終的に昭和11年(1936)4月納入され、同年4月に絵画館完
成式が行われた
⑤『江戸開城談判』壁画は結城素明によって昭和11年(1936)4月納入された。
➅明治35年(1902)11月合冊本と、平成12年(2000)講談社学術文庫(2021年2月現在47刷)との違いは何か。松浦玲が指摘する。
- 吉本がリライトする前の原談話を探し出して対照することにより、吉本が何を隠したかを明らかにした。吉本が隠したところこそが本当の海舟である。
- 自分の本を読みものとして面白くするためには、海舟の真意などどうでもかまわぬと、吉本は思っていたに違いない。そうして、その吉本のやりかたが、今日の海舟研究家といわれている或る種の人々にも支持され、吉本のインチキがそのまま踏襲されている。
⑦明治35年(1902)の『合冊本』と、平成12年(2000)『講談社学術文庫』との最大の違いは、合冊本に書かれていた「合冊序言」が削除さ
れていること。
「合冊序言」に≪先生自ら赴きて、参謀西郷隆盛に面し、将軍の旨を縷陳(るちん)して、百方其の調停に尽力す。隆盛之を容れて、直ちに進襲
中止の命を下し、状(ありさま)を総督の宮に啓す(申し上げる)。之によりて官軍一刃を動かさずして、江戸城に入ることを得、王政復古の大業、平和の間に成就す。先生が絶倫の大手柄は、実にこの時を以て天下に顕はれたり≫と書かれている。
「合冊序言」は『尋常小学校修身書 例話原據と其解説』(東洋図書 昭和4年1929)にも掲載され小学校でも教え込まれているのであるから、一般人の多くが信じ込んでいると推察できる。
したがって、聖徳記念絵画館の壁画作成に関与した明治神宮奉賛会メンバーたちも、この「合冊序言」を受けて、江戸無血開城は海舟によって
すべて成された偉業だと信じるか、思い込んでいたのであろう。
- 氷川清話「西郷と江戸開城談判」は吉本襄の創作話
『合冊本』の227頁、及び『講談社学術文庫版』の375~376頁に「江戸を戦火から守る」)で次のように記されている。
≪翌日すなはち十四日にまた品川へ行つて西郷と談判したところが、西郷がいふには、「委細承知致した。・・・中略・・・ともかくも明日の進撃だけは、中止させておきませう」といつて、傍に居た桐野や村田に進撃中止の命令を伝へたまゝ、後はこの事について何もいはず昔話などして、従容として大事の前に横はるを知らない有様には、おれもほとほと感心した。この時の談判の詳しいことは、いつか話した通りだが……≫とある。
線を引いた文言の具体的内容は『講談社学術文庫版』には記されていない。だが『合冊本』には以下のように書かれている。
≪この時の談判の詳しいことは、何時か話した通りだが(四十六、四十七、四十八頁参照)≫
そこで、『合冊本』の(四十六、四十七、四十八頁参照)を確認すると、『講談社学術文庫』の「西郷と江戸開城談判」72〜74頁と同じであって、以下の文言が吉本が言う「談判した」という詳しい内容なのである。
≪西郷なんぞは、どの位ふとつ腹の人だつたかわからないよ。手紙一本で、芝、田町の薩摩屋敷まで、のそのそ談判にやつてくるとは、なかく今の人では出来ない事だ。あの時の談判は、実に骨だったヨ。官軍に西郷が居なければ、談(はなし)はとても纏まらなかつただろうヨ。・・・中略・・・さて、いよいよ談判になると、西郷は、おれのいふ事を一々信用してくれ、その間一点の疑念も挟まなかつた。「いろいろむつかしい議論もありませうが、私が一身にかけて御引受けします」西郷のこの一言で、江戸百万の生霊も、その生命と財産とを保つことが出来、また徳川氏もその滅亡を免れたのだ。・・・以下省略≫
ここで、吉本は談判という言葉を9回も連発しているが、ただ「談判」だったと繰り返すだけ。具体的に談判したという事例文言がなく、抽象的で、室内から窓外をみているかのような風景的描写であり、二人の人物が激しく激論するという場面は皆無である。
吉本は、海舟が『慶応四戊辰日記』慶応4年3月14日で「十四日 同所に出張西郷へ面会す。諸有司嘆願書を渡す」という「嘆願」では「面白くない」、「読者が興味をもたない」ということで、海舟が「談判」したと、勝手に書いたのではないか。
『目賀田男爵談話筆記』では、勝海舟が「談判ハナク」と発言した旨が明記されているのであるから、海舟は吉本に「談判」については話していないはず。何故なら「談判」をしていないから。つまり、これは吉本襄の創作・作為であろう。
なお、松浦玲は『明治神宮叢書 第十八巻 資料編(2)』掲載の『目賀田男爵談話筆記』を見つけていない(読んでいない)ので、吉本が創作した「談判がなされた」という記述を採用している。この結果、海舟が「談判した」という誤解を読者のみならず、研究者や専門家に与えていると考える
- 『江戸開城談判』壁画で描いた海舟の左脇大刀は素明の判断
結城素明が描いた『江戸開城談判』壁画では、勝海舟の大刀が左脇に位置されている。
これは武士の刀作法ではあり得ない描き方であり、壁画作成の準備段階で描かれた「下絵」と「画題考証図」では大刀が右脇位置に描かれている。
しかし、結城素明は大刀を左脇に変更し描いたが、その背景には、やはり明治35年に発刊された吉本襄著の合冊本『氷川清話』が存在していることを本書で解説した。
- 結城素明も吉本襄『氷川清話』の「合冊序言」に書かれた内容を受け入れていて、江戸開城はすべてを海舟の「絶倫の大手柄」であると確信していたのではないかと考える。
- この推察背景は、素明の本名「貞松」は海舟が命名、素明の号も海舟と言われている。素明は明治8年(1875)本所区(現・墨田区)生まれ、昭和32年(1957)没。吉本襄の『氷川清話』(合冊本)が出版された明治35年(1902)時は27歳、東京美術学校(東京藝術大学)の日本画の嘱託となる。海舟に縁があるので、吉本の合冊本を熟読したのではないかと思う。
- これに加えて結城素明の画家としての「信条」が決定的に影響を与えたと推測する。素明の弟子である東山魁夷が語る素明の信条「平凡なものを緻密に見れば、非凡な発見がある」がある。
- 『明治神宮叢書 第十八巻 資料編(2)』に、素明が描くために調べた詳細項目が細かく列記されていて、素明の信条である「平凡なものを緻密に見れば、非凡な発見がある」、つまり「精密な調査」を通じて、画題考証図には肝心要となるものが「欠けている」という認識を持ち、せっかく、海舟が「談判」して獲得した江戸無血開城なのに、画題考証図はそのことを十分に表現していない。それを正すために海舟の大刀位置を左脇にした、と推測する。
- なお、調査した限りでは、素明が大刀の位置を変えたという記述は発見できていない。
- 結論
江戸無血開城について諸研究が進んだ現在、改めて、史実を見直すとともに、聖徳記念絵画館の壁画『江戸開城談判』が「正史」であるという解釈、これについても考え直すタイミングがきているのではないか。
これらの背景から本書を出版した次第である。
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