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2021年9月

2021年9月11日 (土)

コラムⅡ (飛騨の祝い唄『めでた』の先見性) 北村豊洋氏

北村豊洋氏より前回の寄稿に続いて、コラムⅡ(飛騨の祝い唄『めでた』の先見性)を以下のように寄稿いただきました。

 

コラムⅡ(飛騨の祝い唄『めでた』の先見性)

飛騨高山には座敷宴会の祝い唄に『めでた』というのがある。

『めでた』とは、高山と飛騨地方に限定された独特の祝い唄である。北飛騨の神岡では別名『みなと』、古川では『若松様』といい、昔から座敷宴会で唄われ続けてきた。

起源は江戸時代後期だと言われている。座敷宴会など最近では中々経験できないが、飛騨では今でも、結納、結婚式、新年会などの宴会は座敷で行われる事が多く、その際には必ず『めでた』が入る。

自分の経験では、曾祖母の米寿の祝いや、祖父の還暦の祝いの時は自宅の2階座敷に親戚たちが集まり、長老が詠う『めでた』を聞いた。小学生の時から何回も聞いていた感じがする。高山で行った自分の結婚式披露宴でも、やはり『めでた』が入り、当時すごく緊張した事を覚えている。

東京で会社員となり、仕事上の宴会回数も多くなったが、ほとんどがホテルかレストランで行う事が多かった。50歳を過ぎてからは座敷にも通ったが、ごく普通の宴会をしただけである。

ただ、東京で行う高校の同級会や同窓会では、司会者は必ず『めでた』を入れる事になっている。アウンの呼吸で盛り上がるのである。

さて、『めでた』を少し掘り下げてみようと思う。

注①『平成28年斐太紀15号』(飛騨学の会)から引用する。

「飛騨を治めた金森家の2代目、金森可重の下屋敷が完成した時に棟梁が披露して『めでた』と名付けたと言われるが定かではない。金森時代には詠われず、江戸時代後期,天保時代に大流行した。そして『ぶり街道』に沿って広がったといわれている。高山御役所手代元締の菊田秋宣の『広瀬桜之花記』に『めでた』が出てくる。七七七五調で、多人数で詠う音頭形式の唄である。調子を揃える為、最初の句を1人が詠い出し、その後に他の人々が詠い出す。『めでた』の音頭はその座の長老か代表者が取り、正座して皆で腹から声を出して詠う。

この『礼をもって宴を進める』格式が重視されるようになった。さらに高山では、『めでた』の本唄を同じ旋律で歌詞を変えて詠い、宴席にメリハリを持たせる工夫がなされた。『お肴』、『返し』、『納め』などがそうである。」

艶っぽい替え歌もある。なんとも粋であり、江戸を感じる。京風ではない。

以前、教員であった父が、同僚の先生を自宅に招いて宴席を開いた時、誰かが『めでた』を詠い、そのあと『東海道宿続き』を父が詠っていた。大学生だった自分もその宴席に同席していたが、催促されて、口パクで皆さんと唱和していた事を思い出す。

昔は、『めでた』を詠えて一人前とよく言われた。早く覚えろといわれたが、中々難しくて一人では詠えない。皆と同調して口パクするだけである。一人前でない証拠として認めるしかない。

宴会の『めでた』の音頭を誰に頼むか、人選が大変である。当日のアドリブはあり得ない。宴会日の何日か前に正式に依頼する。依頼された方は名誉として受け取り、宴会の主旨や参列者を把握した上で練習に励むのである。年齢や地位、上手さ等を考えて、結局は長老に頼む事になる。依頼される方も心得ているから、人選を間違えると宴席が白けて厄介な事になる。

自分の結婚披露宴では、父が誰に『めでた』を頼むかを相当悩んでいた気がする。音頭を取れる人が多い宴席の場合、1人を指名するのだから悩む。指名された方は名誉としていつまでも忘れない。仲人と同じくらいの責任と名誉なのである。逆に外れた長老も一生忘れない。また、意外な人が『めでた』に指名され相当に上手く詠うと、宴席の皆から称賛されてハクが付く。

「礼をもって宴を進める」格式への大事なコミュニケ―ションなのである。

実は『めでた』には、飛騨の独特なルールが含まれている。

宴会の座に着いて挨拶と乾杯が済むと、約30分後のころ良い頃に司会者の合図で『めでた』が詠われるのだが、それまでは席を立ってはいけないのだ。

その前に席を立つと宴の品格が下がり、皆の顰蹙を買うことになる。

料亭の女将が場を見渡し、絶妙のタイミングで隅の畳上でお辞儀して『めでた』の開始を宣言する。そして指名された人を前に呼び込む。

「そろそろ、めでたに入ろうと存じます。めでたの音頭は○○さん、御指名でございます。宜しくお願い致します」

「大変僭越ですが、めでたの指名を頂きました。皆さま宜しく御唱和願います  めーでーたーのー……」と正座して『めでた』が始まる。

数年前、高山で結婚式の司会をした事が有る。宴会の進行を料亭の女将に任せたが全て心得ていて見事な段取りであった。宴席についている地元の人はそのルールを分かっているので当然の顔で見守るが、初めての人はビックリする。しかし全員で『めでた』を唱和すると、この段取りに皆が安堵するのである。

『めでた』が終わると、それからは無礼講である。自由に席を立ち、酒を注ぎに行ったり、喫煙室やトイレに走ったり自由である。ここから長い宴席が始まるのである。

 

「めでたが始まるまで席を立つな!」には三つの理由が有ると言われている。

1)乾杯が終わったら、まず料理を食べよ。せっかく作った料理人の気持を想い、吟味せよ。

2)偶然、席が隣りになった人とはご縁だから、まず挨拶と会話をせよ。

3)長い宴会になるのだから、まず腹ごしらえしてから、酒を飲め。

 

そして中締めの10分程前には、女将がまた案内する。

「そろそろ中締めでございます。どうぞ席にお戻りください。」

席に戻って、御膳の料理を完食するか、折に入れて持ち帰るかの準備をする。

 

この『めでた』が出るまでは、まずは出された料理をゆっくり食べよ。そこからは無礼講だとの合図なのである。宴会の流れの中で工夫された仕切りなのだ。最近は高山でも知らない人がいるが、知らないと恥をかく。

「まだ、めでたが始まる前だ、席に戻れ…!」と誰かの声が飛ぶはめになる。

『めでた』とは、粋な合図なのである。

 ある時、飛騨の宴会に出席し『めでた』が出た、しかし乾杯の後に間髪いれずに『めでた』が入った。わかってないな、意味が解っていない。司会者に、後ほどクレームを付けたが、全く理解していなかった。

食品ロスが騒がれている。年間600万トンのロスが発生している。(平成30年農水省統計)食べられる状態で廃棄されるのだからもったいない。600万トン/年という数字は、1人当たり年間食べる米の使用量と同じ量、また1人当たり47キロの食品を捨てているのと同じだと言われる。食料難民の人達にすれば大変な数字である。環境省は10年程前に、食品ロスを削減する「3010運動」を起こした。宴会時30分は食事に専念せよ、締めの10分前には席に戻り食事を完食せよとのキャンペーン運動が「3010運動」である。

おやおや、これは何なのだ!『めでた』と同じ意味ではないか。

飛騨高山では江戸時代後期に、すでに3010運動なるものが出来ていた。キャンペーンなどせずとも、自然に慣習としてルールとして生活の中に落とし込んでいたのである。

小野代官、山岡鉄舟が高山にいた頃、すでに宴会には『めでた』が入った。明治27年に高橋泥舟が高山を訪れ、鉄舟の7回忌を地元の人達と行ったとの記録が有る。注②(2012年明海大学研究レポート通巻8号岩下哲典教授編)

泥舟は高山に一か月半ほど高山に滞在し、多くの人達と宴席をもうけたという。鉄舟も泥舟も、地元の人達が詠う『めでた』を何回も聞いたに違いない。気にいっていたかもしれない。

当時、高山の二大料亭は、中橋の傍にある『洲ざき』と『月破楼』であった。

宮川に向かいあう場所にあった。『月破楼』は泥舟が好んで通った料亭である。

泥舟が『月破楼』で宴会中に、日清戦争の勝利の報が入り、地元の人達と何回も宴を行ったといわれる。(2012年明海大学研究レポート通巻8号岩下哲典教授編)

その『月破楼』は廃業して今はない。敷地にはかつて老人会館が建っていたが、駐車場となり今は宮川に降りる階段が残るだけである。

中橋のもとには料亭『洲ざき』が今でも営業していて、女将が見事に案内してくれる。ミッシュラン二つ星である。女将に頼べば、主人の上手い『めでた』を披露してくれる。

『めでた』には食品ロス回避の意味が有ったとは驚きであろう。

それほど大げさに言うでなく、飛騨の普通に身に着いた習慣である。江戸っ子の鉄舟や泥舟は、今だったらどう評価して言うだろうか。

「楽しく飲めよ、野暮なことを言うなよ!」とでも言うだろうか。

 

帰省した折の散歩時には、同じ町内の『月破楼』跡をいつも通る。

126年前の『めでた』の唄声が今にも聞こえてきそうである。

 

参考文献 注① 堀尾雄二著「飛騨の祝い唄」斐太紀第15号、2016年

        (飛騨学の会)―めでたの歴史と唄が詳しく書かれている。

     注② 岩下哲典他著「幕末の一人・高橋泥舟研究書(2)

        明治27年秋、飛騨高山の旅と日清戦争

        『Journal of Hospitality and Tourism』第8号、2012年

        (明海大学)―泥舟の高山での行動が詳しく書かれている。

     

                                     令和3年晩夏  北村豊洋

2021年9月 2日 (木)

コラム(高山にて) 北村豊洋氏寄稿

コロナ禍の中、皆様大変な生活を過ごされていると存じます。

例会も中止が続き、ご迷惑をおかけいたしております。

そのような中で、北村豊洋氏が、ご実家がある岐阜県高山市に帰省され、そこで感じられたことを寄稿いただきました。

鉄舟が少年時代を過ごした高山、当時から地元社会に伝わってきている、高山の生活文化について考察されておられます。

北村氏にお願いし、全文を掲載させていただきました。

皆様もこのホームページでご発表いただける内容がございましたら、ご連絡賜りますようお願いいたします。

 

 ― コラム(高山にて)―

やはり、高山は不思議な町である。

コロナの為、帰省はなかなか叶わなかったが、今回、母親から緊急連絡が入りやっとで帰省した。家で雨漏りがして、玄関の畳がベタベタで大変な事になっているとの報が入った。雨漏りではなく縁の下から水が入ったのかも知れないなど心配で大騒ぎしている。

直前の大雨で中央高速と国道41号線が通行止め。まずいと思いながら、東名高速から郡上経由で約10時間かけて、ようやく飛騨高山に着いた。

家に着くと雨は止んでいた、もう濡れた畳は外してあったが、大黒柱から水が伝わり廻りは水浸しであった。

早速、業者に雨漏りの原因を調べてもらうと、屋根の天窓のガラスが外れていて2階の物置に雨が入り込み、そこから大黒柱に雨水が伝わり、一階玄関まできたらしい。これは大変と屋根に上り、風でずれたガラスを元に納めたらピタっと止まった。縁の下から湧いたのでもなく、単に天窓が空いていて雨が入ったという単純な理由であった。とりあえず一安心。

テレビでは大雨が岐阜県を襲い、岐阜県の山間部は厳重注意と叫んでいるが、現地の人々は余り気にしていない。不思議である。

雲の流れを見てみると、下呂地区、郡上地区、飛騨北部に雨雲が多く、高山をかすめている。白山連峰や飛騨山脈に囲まれた高山盆地を素通りする。宮川も分水嶺に近い川上なので、市内ではさほど増水はしない。むしろ、川下の下呂辺りに集中して雨が降る。岐阜県の山間部とはこの地域を指す。だから高山市内の人は、大雨注意報でもピンと来ない。コロナ感染もそうなのである。

東京都と同じ面積で人口10万人の都市、我孫子より人口が少ない町だが、1年半のコロナ感染者累計は約200人、ここ数日は一人も出ていない。なのに、岐阜県に緊急事態宣言がでた。名古屋に近い美濃地方に多いからである。

今日の昼、驚いたことがあった。

地元のスーパーに車で買い物に行った際、駐車場では他県ナンバーは殆ど無し、自分の「柏ナンバー」が目立つ、目立つ。すれ違う車も殆ど「飛騨ナンバー」。気まずくなり、サッサと用を済ませて帰った。

東京から県を移動して来た自分は問題である。ワクチン2度接種済でもPCR検査をしていない自分は部外者に変わりはない。当然の地元の視線である。

観光都市高山のコロナ感染防止対策は、一般都市とは少し変わっていると思われる。自治が効いているのである。他県から来た観光客は、昼は市内散策しても夜は出かけられない。ホテル内で食事して寝るだけである。

飲食店、レストランは夜になると入口に「一見さんお断り」の張り紙をはり、徹底している。逆に地元の老人達は出入りしている。飲食店組合で決めたルールだという。地元の人達で通い合い経済を回している。役人が決めた事ではない。それで感染者が少なく結果を出している。政府では「ワクチン接種した人の行動制限の緩和について証明書発行などのロードマップを今後示す予定」と言っているが、遅い。高山では市民がもう実行している。すべての対策がこうというのではないが、決断が早く、コミュニテーが結束する。

雨で濡れた畳を引き取ってくれた畳屋の主人が、午後に家に来た。馴染みの畳屋の主人なので久々の挨拶をしていたら、主人曰く

「おう、帰っていたか、よかった。雨漏りで大変だね。濡れた畳だけど、畳表は新しく取り換えるが、芯台はよく見ないとわからない、新品にするか、中古にするかその判断をまかしてくれないか…、あんじょう良くするからとおふくろさんに言っておいてくれ…。」

わざわざ言いに来た。新品にするか中古にするかの見積もりを持ってきたのでもなく、任せろと言いに来た。それで通用するのである。別の日に途中経過を言いに来たが、依頼した人は安心する。飛騨のビジネスなのである。

まるで江戸時代、鉄舟の時代である。

なるほど、畳屋の主人とのコミュニケーションが醸し出す信頼関係と、独特のコミュニティーの力を。アウンの呼吸でお互いが成り立っている事を思い出した。ビジネスマン出身の自分でも、一年半ぶりに帰省して空気を吸うと違和感に気がつく。高山が普通なのであって、自分がここ一年半で変わったのだろうかと。鉄舟さんならどう言うだろうかと。

コロナも経済も、地元の人達はいろいろ工夫しながらルールを決め、少しでも経済をまわしている。コロナ感染対策などは住民が自主的にやっていて成果を出しているのだから立派なものと言わざるを得ない。

久々の帰省だったので、友人達から夜の会食など誘いを受けたが、やはり自分は他県から来た部外者なので丁重に断った。スーパーへの買い物と、おふくろを連れてのお墓参りに外出しただけで、我慢と自粛の帰省であった。

鉄舟が今いたら、そうアドバイスしただろうと思いながらステイホームに徹したのである。

しかし雨漏り修理してよかった。その後大雨がふり、タッチの差であった。おふくろも大喜び、ホット一息であった。 

                                           令和3年 お盆の頃  北村豊洋  

 

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