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2019年5月24日 (金)

2019年5月例会開催結果

2019年5月例会は喜多村園子氏からご発表いただきました。

喜多村氏は平成30年5月に『小林二郎伝』を出版、「山岡鉄舟研究会」や「越佐文人研究会」で講演されましたところ、小林二郎に関係する多くの資料や情報が寄せられ、それらについて研究し考察された内容を、今回「続編」として以下のようにお話しされました。

まず、最初に、数多くの資料や情報から「新たなる二郎」の人物像が浮かびあがった。特に、兄省介の冤罪時の様子が、この度解読した自筆訴状の行間から、いかに二郎が兄・省介を懸命に助けようとしたかが、窺われ読み取ることが出来、これが屠腹しようとした二郎の「明治七年血書錦絵」に繋がっていることを再確認できた。

また、二郎は出版人としても並々ならぬ業績を残しており、膨大な出版物を考えると、昼夜を分かたず出版し続けたのではないかとも推測できる。

さらに、こうした出版業の傍ら、明訓學校の設立・良寛堂建立の協力者・郵便局長など事業家として、各界の錚錚たる人々と交流し、新潟の文化を高めていった功績は計り知れない。

特に強調したいのは、良寛研究者として、また『僧良寛歌集』『僧良寛詩集』の出版を通して、良寛に対する敬慕の情は格別であったことと、その結果が須磨での客死へと推察している。

加えて強調できるのは、小林二郎が、出版人や各方面に多大の功績を遺したが、終生トップ の座を占めることはなく、常に事務局やNO2として困難且つまた苦労の多い難儀な仕事を引き受け、真摯に仕事を貫いたことである。その生き様は、二郎の師高橋泥舟や山岡鉄舟の生き方に重なると思う。

新潟に小林二郎という出版人・良寛敬慕者・文化人が存在したことを、出版を通じて知らしめることができたこと、今、喜んでいるところである。

今回のご発表は、昨年ご発表後一年間の小林二郎研究でありましたが、見事に考察を深められたプロセスを表明されたもので、鉄舟の教えに通じる「長期にわたって目標を持ち続けることの大事さ」を実践行動されました。
喜多村氏から学ぶこと多く敬意を表します。

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