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2019年4月30日 (火)

2019年4月17日例会開催結果

2019年4月例会は、堀越直子氏と河瀬眞人氏からご発表いただきました。

① 堀越直子氏は、『台東区観光ボランティアガイドが案内する ~上野から谷中~「西郷どんコース」』をテーマに、ご自分が台東区の公認ガイドとしてご活躍の美声と、明確でわかりやすい「堀越節」で語り、例会参加の皆さんを魅了いたしました。
台東区観光ボランティアガイドは現在86名、平均年齢72.6歳、90歳以上の方も2人おられるとのご案内に、全員「エー、アー、すごい」と絶句。ガイドコースも19あり、お問い合わせは台東区立浅草文化観光センターに電話されると詳しい説明があるとのこと。☎03-3842-5599
皆さんから堀越さんのガイドで史跡めぐりしたいという希望が出ておりますので、堀越さんと日程調整いたしまして、再度、史跡現場にて「堀越節」をたっぷりお聞きできる機会をつくりたいと思っておりますので、お楽しみにお待ちください。

② 河瀬眞人氏からは『「明治天皇の侍従2人」旧幕臣山岡鉄太郎と旧長州藩士石川小五郎(河瀬真孝)』についてご発表いただきました。
河瀬真孝は河瀬眞人氏の曽祖父にあたります。河瀬氏は5年ほど前から家に伝わる古文書類の調査を始め、その中に鉄舟から真孝宛の手紙があり、二人の関係を調べてみると真孝は明治4年9月に侍従長、鉄舟は明治5年6月に侍従就任で、ほぼ同時期に明治天皇の侍従職と判明。
真孝は天保11年に萩藩士石川淳介の三男として出生。旧名を石川小五郎→河瀬安四郎→河瀬真孝と称し、石川家は代々周防吉敷佐山村(山口市佐
山)の出身で萩毛利家に仕える大組士であった。
真孝は幕末動乱の時代、馬関攘夷決行、朝陽丸事件に関与、この頃、石川小五郎は世子定広公の側役、後に敬親公の側役であったが、幕府の嫌疑を受け、母の疾病を理由に職を辞し山口に戻り河瀬安四郎と名乗り、山口宿営中の諸隊に留まり、同年冬諸隊が五卿を警衛し長府へ転陣に際し御盾隊に同行。その後、安四郎は遊撃隊総督に就任し、功山寺決起、四境戦争にも関与した。
戦争終結後の慶応3年3月、希望していた英国へ留学、明治4年帰国、侍従長に、退任後はイタリア・オーストリア弁理公使、後に全権公使、
元老院議官、高等法院陪席裁判官、元老院幹事、司法大輔、英国全権公使、枢密顧問官等を歴任。大正8年9月永眠。
このように河瀬氏の曽祖父・真孝氏は、赫赫たる要職を歴任されており、当然ながら幕末から明治に活躍した人物との関わりも深いわけで、さらに史実調査を続けられるならば、幕末・維新史に遺るであろう新史実が解明されるものと推測いたします。
河瀬氏の、ますますの史実研究を大いに期待いたしたいと思います。

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