2017年12月例会開催結果
12月20日(水)は、東洋大学・岩下哲典教授から、
「山岡鉄舟と西郷隆盛 その最大の功績『江戸無血開城』の真実
―そのほとんどは静岡会談で決まっていた!
『鳥羽伏見の戦い』の戦後処理問題、戊辰戦争の変質の画期として―」
と題しまして、以下の項目でご講演いただきました。
1.「江戸無血開城」以前の形勢
2.「江戸無血開城」の真実
3.「江戸無血開城」以後
上記項目は、岩下教授が現在執筆中ですので、詳細について報告は控えますが、巷間、一般的に語られている内容と異なる視点から、妥当なる山岡鉄舟の業績所論を展開されました。
来春出版されましたら、皆さんにご連絡いたしますので、是非、ご一読いただき、鉄舟の正しい業績を確認いただきたいと思います。
なお、事務局から二件、追加報告いたします。
1.質問として提起された「鉄舟が駿府での西郷会談で一番槍をあげたとして慶喜から来国俊の短刀を拝領した」件は、日野市立新選組のふるさと歴史館叢書第14輯『特別展 幕臣尊攘派―浪士組から江戸開城へ 山岡鉄舟らの軌跡―』(2016年1月15日発行)の30頁に、関係史料が明記されていますので、ご参考に願います。
2.JR静岡駅北口から歩いて5分の伝馬町通りに、西郷・鉄舟の駿府会談の記念史跡があり、静岡市教育委員会によって、≪勝海舟の命を受けた幕臣山岡鉄太郎≫との説明文が平成16年から掲示されていた。
この説明文言は正しくなく、事実は「海舟からでなく、徳川慶喜から直接に命を受けた」であり、静岡・山岡鉄舟会の故松本検顧問(前会長)が申し入れを行い、以後、機会を見つけては教育委員会に同会が要望してまいりました。
その結果、平成29年9月に≪徳川慶喜の命を受けた旧幕臣山岡鉄舟の会見≫と正しく直され、併せて≪三月十四日、江戸・芝田町の薩摩藩邸で山岡鉄舟も同席した西郷隆盛と勝海舟との会談により最終的に決定≫と加筆されました。静岡・山岡鉄舟会に深く敬意を表する次第です。
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