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2017年6月

2017年6月26日 (月)

2017年7月、9月例会開催

2017年7月9月例会開催について(8月は夏休みです)

7月、9月例会は永冨明郎氏から「西郷隆盛の生涯」を発表いただきます。
 7月19日(水)は「西郷隆盛の生涯」<幕末篇>
 9月20日(水)は「西郷隆盛の生涯」<明治篇>
として二カ月連続でご発表いただきます。
    開催日   2017年7月19日(水)
         時間    18時30分~20時
       会場    東京文化会館・中会議室1
       会費    1500円

2018年NHK大河ドラマは「西郷(せご)どん」で、原作は林真理子氏、脚本は中園ミホ氏、主役の西郷には鈴木亮平が決まっていますので、永冨氏の「西郷隆盛の生涯」をご参考にされるとよろしいと思います。
   

 

2017年6月例会開催結果

2017年6月例会開催結果
山本紀久雄から「明治天皇と鉄舟」について発表いたしました。

1. 明治天皇について検討に当たって3前提を説明。
① 明治天皇の史料はないが、資料は多い。
② 検討のためには、自らの意識を明治天皇へ止揚させることが必要。
③ 明治天皇はミラーニューロン(他人がしていることをみて、我がことのように感じるエンパシー)を十分に発揮された。忖度も必要要件。

2. 明治新政府は、諸政策変更を急ピッチで進め、民衆は今まで慣れ親しんだ社会と異なる大変革に遭遇した。だが、これらの政策が15歳で即位された少年明治天皇による意思決定とは考えられない。
① 明治3年、平民に苗字義務
② 明治4年、戸籍法、宗門人別帳廃止、廃藩置県 貨幣制度の変更
③ 明治5年、12月3日を明治6年1月1日へ、太陽暦に切替え、暦廃止
④ 明治6年、徴兵制布告、地租改正、仇討禁止令
⑤ 言葉の統一 「お母さん」母上、おっかあ「お父さん」てて親、おとう
             「わたくし・わたし」拙者、みども、あっし、手前

3. 明治天皇治世への評価は次のように高い
① 「明治22年代以降、明治天皇は絶妙の政治関与を行っていった」
        (伊藤之雄著『明治天皇』)
② 「君主たるミカドの人格というものが無かったならば、政治家たちもあそこまで仕事を遂行することは出来なかったろうし、また遂行するにあたってもっと時間がかかったに違いないということである。ミカドが備えていた資質の中に人間を見抜く能力があって、これは恐らく一国の君主が持つべき資質の中で最も貴重なものである」(米ボストングローブ紙の哀悼論評)

4. 上記の伊藤之雄が述べるように、明治22年の大日本帝国憲法公布以降、誠に的確な治世をなされたが、それには西南戦争が勃発した明治10年初頭から発した「うつ症状」と、この完治に鉄舟がかかわった経緯が影響している。

5. 明治10年初頭、第一に閣僚と会うのを努めて避けるようになったこと。第二に、この時期、予定された学問の日課を避けるようになったこと。このような中の1月24日、京都・大和路へ行幸された。だが、行幸先でも同様の状態であった。西南戦争の大勢が定まった7月、東京に帰り、皇居に戻ると、そこには侍従就任当時から変わらず明確な「生き方目的」に向かって行動している鉄舟がいる。この当時の鉄舟、浅利又七郎に勝つため、心の修行である禅に没頭、悟りの境地に辿りつこうと、ひたすら厳しい修行の毎日であった。その鉄舟の姿から、ミラーニューロンによって明治天皇は「君主としての持つべき変わらぬ基準」の必要性を認識されはじめ、結果として「うつ症状」を完治された。

6. 明治20年、ウィーンで憲法を学び帰国した藤波言忠から33回もの講義を受け、続いて枢密院での憲法草案審議に全て臨御し議事を聴かれ、原案や修正点をよく理解し憲法を承認された。従って「大日本帝国憲法は、自らがつくった欽定憲法である」との認識を強くお持ちで、そのことを誇りにし、憲法第4条「天皇の統治は憲法の条理により行う」を自らの行動限界範囲として理解され、納得し、実践された。

7. つまり、明治天皇は「君主としての持つべき変わらぬ基準」を憲法とされたのであるが、この「生き方基準を持つ」必要性認識は、明治5年から明治15年まで10年間侍従として身近に、その後も宮内省御用掛として終生仕えた、鉄舟のぶれない「生き方目的」からの影響と考える。

8. この影響変化は、明治6年当時の写真と、明治21年の御真影から判断できる。明らかに明治天皇の全身・相貌から、賢者・風格・重厚・気品がうかがえる。この深化を見届け、明治21年、鉄舟はこの世を去ったのであろう。
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      (明治6年21歳)        

Photo
       (明治21年36歳)

2017年6月 7日 (水)

2017年月6月特別例会開催報告

2017年6月4日(日)、心地よい日差しと、爽やかな緑風を受けながら、『「渋沢史料館」見学&飛鳥山史跡巡り』を開催いたしました。

今回の王子地区は、幹事の矢澤昌敏氏出生地でもあり、さすがに詳しく、いつもの詳細なる史料作成にも一段と気合が入っており、各所で幼少時代から成年までの体験話なども織り交ぜた解説で大いに盛り上がり、以下のコースを回りました。

まずは、JR京浜東北線「王子駅」北口改札口に13時集合し、①北とぴあ(展望ロビー17階)⇒②王子稲荷神社⇒③王子神社⇒④音無親水公園⇒⑤飛鳥山公園⇒⑥渋沢史料館で企画展「渋沢栄一、パリ万国博覧会へ行く」を桑原功一副館長の名調子解説受け⇒⑦西ヶ原一里塚⇒⑧旧古河庭園は門前を通過して、最後はJR山手線・駒込駅前の居酒屋にて懇親会を行い、いつものように楽しい史跡巡りの一時を過ごしました。

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    王子駅出発

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  王子稲荷・狐の住処

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     王子神社

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    音無親水公園

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    渋沢史料館入口

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   「青淵文庫」表示板 

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寿、竜、柏の葉のガラスパッチワーク

参加された皆さんから、今まで王子についてあまり知らなかったが、今回の歩きで「王子地区の奥深さを実感した」等の感想をいただきました。

いつもながら緻密で詳細な資料作成にご足労をおかけし、渋沢史料館の桑原功一副館長にお出まし願うなど、気配りと配慮を賜った矢澤昌敏氏に深く感謝申し上げます。

なお、桑原功一副館長から、15代将軍徳川慶喜が、幕府崩壊後、駿府にて過ごしていた明治26年1月2日、渋沢栄一が、その妻と共に、三遊亭円朝を連れて駿府まで年始に訪れているとご教示受け、早速『徳川慶喜家扶日記』(前田匡一郎編著)で事実を確認いたしました。
駿府の慶喜公のもとに鉄舟は度々訪れていますが、鉄舟亡き後「日本資本主義の父」ともいわれる渋沢栄一が、鉄舟の禅弟子である円朝を駿府まで案内したということ、渋沢、鉄舟、円朝の関連因由についても大変興味深く、この経緯について後日研究してまいりたいと思っております。

次回は6月21日(水)の通常例会で「明治天皇と鉄舟」をテーマに山本紀久雄が行います。
    開催日   2017年6月21日(水)
    時間    18時30分~20時
       会場    東京文化会館・中会議室1
    会費    1500円
                                        以上



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