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2016年1月26日 (火)

2016年1月例会開催結果

2016年1月19日(火)の例会は、次の三氏からご発表いただきました。
1. 北村豊洋氏
Img_20160126_0002

この度、高山市ご出身の北村豊洋氏が出版されました「山岡鉄舟と飛騨」について、その出版意図や、高山の地が持つ特性について解説いただきました。
鉄舟の生き様に強く影響を与えた高山の地は、今までの鉄舟関係史料で深く検討されてこなかった分野であります。「山岡鉄舟と飛騨」はそのところを探求され、鉄舟が持つ民主主義的思想の背景に、高山の地があることを論証されたもので、鉄舟研究領域に新たなる一石を投じられた労作です。近いうちに全文をHPに掲載いたします。

2.蓮沼裕二氏
蓮沼氏からはご夫婦で訪ねられた、東条英機ら「A級戦犯」7人処刑に、日本人でただ一人立ち会った教誨師の花山信勝の生家で、7人が最期に残した署名などを保管している金沢市の宗林寺を訪問された感懐と、金沢市東山ひがし茶屋街で偶然出あった鉄舟書、それと戦争末期に延べ人数61万人を投じた長野県松代の地下壕概要にも触れていただきました。

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金沢市 宗林寺 A級戦犯 絶筆の石碑

2

3.山本紀久雄
 天田愚庵へ鉄舟が肩入れした背景と理由について、多くの愚庵研究家は「鉄舟が愚庵の性格特性と、父母妹との別れに身をつまされ、愚庵の心中を思い遣って、肩入れした」と述べていますが、鉄舟がそのようなナイーブな心情のみで肩入れする人物ではありません。

愚庵の父母妹が行方不明要因は、磐城での戊辰戦争によるもので、磐城に到着した
幕府脱走遊撃隊に対し、仙台藩と磐城平藩前藩主安藤信正が「軍の指揮を執るよう要請」したことから戦いが勃発しました。

遊撃隊とは、一種のエリート集団で、中核をなしたのは、幕府が安政3年(1856)4月に開設した講武所で、刀槍柔術を教授した旗本御家人と、ここで稽古・修練を積んだ幕臣たちですが、その中から人見勝太郎、伊庭八郎を中心にした者が脱走し、紆余曲折を経て磐城の地へたどり着いたわけです。

鉄舟は、磐城に行く前、遊撃隊が駐留する箱根・御殿場に赴き、脱走を止めるよう説得したのですが失敗しました。西郷の駿府会談とは異なる展開になったわけです。

鉄舟は、愚庵とはじめて会って、愚庵が訴え告げる「父母の所在を尋ねんこと是のみ一生の宿願に候」を耳にしたとき、胸中、湧き上がる自責の念を感じ、愚庵に「特別な想い」を抱き「肩入れ」をはじめました。

清水次郎長の養子へ、自らの師である滴水禅師のもとでの修行、それらを通じ愚庵が精進し、明治20年得度、京都に庵を結び、漢詩の外に万葉調の和歌を能くし、正岡子規に多くの影響を与えるまでの人物になりました。

鉄舟による影響を受けた人物の一例として、長い間、愚庵をとりあげてきましたが、次回からは三遊亭圓朝に入ります。

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