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2015年10月23日 (金)

2015年10月18日(日) 例会開催結果

2015年10月18日(日) 例会開催結果
  10月例会は「江戸における吉田松陰所縁の地を訪ねる」を、永冨明郎氏によるご案内と解説で開催いたしました。
① 集合はJR南千住駅改札口

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南千住は東京メトロ駅とつくばエクスプレス駅もあり、周辺の変化に驚く。それと乗車券自動売り場に多くの人が並ぶのにもビックリ。その並ぶ人たち、いずれも外国人の様子。この近くに宿泊している観光客らしく、都心のホテルは高いので、この近辺にとまるのではないかと推察する。いずれにしても例会で出歩くと現代模様を確認できるから楽しい。

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 駅前といってもよいところに千住小塚原があり、吉田松陰のほか、橋本佐内、頼三樹三郎、水戸藩浪士らの墓碑がある。  文久2年(1862)、松陰赦免を受けて久坂玄瑞揮毫による「松陰二十一回猛士」の墓碑がある。
永冨明郎氏が語る。
二十一回というのは、吉田松陰の姓である「吉」の字を分解すると「十一」と「口」になり、「田」の字を分解すると「口」と「十」になる。あわせて「二十一」、「口」と「口」をあわせて「回」になる。また、松陰の実家の姓である「杉」の字を分解し「十」「八」「彡(三)」の三つの数字に見立て、 合算すると、これもまた「二十一」になる。
「猛士」というのは、松陰の通称が寅次郎であり、「寅=虎」であり、「虎の徳性は猛である」ことにちなんで、「猛士」としたという。
 成程と感じつつ、地下鉄日比谷線で小伝馬町に移動する。

② 小伝馬牢獄
慶長年間(江戸初期)設立から明治8年(1875)の市ヶ谷監獄成立まで使われた。代々、通称「牢屋奉行」石出帯刀(たてわき)(大番組衆)が君臨し、当時は未決囚の拘留が主目的(上位武士は他家お預けが主)、身分により部屋が異なることなど、永冨氏が、今回の史跡巡り用に作成された資料と見取り図によって詳しく解説された。
明治後、刑場跡地は十思小学校(現・十思スクエア)、十思公園と大安楽寺(真言宗)などに転用されている。歩いてお玉が池に向かう。

③ 神田お玉が池
江戸初期には、不忍池(上野)より大きい池があったといわれる。しかし安政年間では駿河台からの土によって埋め立てされ、ほとんど池の姿がなくなる。池の畔にあった茶屋のお玉にふたりの男が言い寄り、苦悶したお玉が身を投じてなくなったとの伝説から、この名がある。
江戸中期以降、神田一帯は文人の好む地となり、この池の周囲に学問塾、武道場などが並ぶようになる。東条一堂(1778-1856)「揺池堂」、清河八郎(1830-1863)「清河塾」、梁川星厳(1789-1858)「玉池吟社」、佐久間象山(1811-1864)「象山書院(五柳精舎)」、千葉周作(1793-1856)北辰一刀流「玄武館」、お玉が池種痘場など。
 千代田区教育委員会表示板(左写真)にもお玉が池の範囲については不明とある。

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④ 松陰神社
  地下鉄・岩本町から三軒茶屋駅に行き、東急世田谷線に乗り換え松陰神社前で降りる。駅前商店街を歩いていると「松陰松下村塾学び館」なるものがあるので入る。
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いよいよ松陰神社である。山門をくぐって社務所に入ると、正面に鉄舟によって明治16年に書かれた「松陰神社」額が掲げられている。

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全員で御社殿正式参拝後、神職の案内で松下村塾、伊藤博文や山形有朋・乃木希典から奉納された石灯籠の間を通り、松陰先生他の烈士墓所でお参りする。
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⑤ 国士舘大学
松陰神社の隣に位置する国士舘大学へ。

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ここでは大正8年(1919)建立の大講堂内で、国士舘史資料室の福原一成氏から、ご親切で親しみに満ちた解説を伺う内に国士舘大学のイメージが変わっていく。皆様も一度行かれると同様の感触になると思います。
 

⑥ 豪徳寺
最後は豪徳寺である。寺内に入ると一瞬京都かと思わせる風情である。秋が深まると紅葉が美しいという。ここは正式名称を大𧮾山(だいけいさん)豪徳寺(曹洞宗)、中世には世田谷一帯は吉良氏の領地であったが、文明12年(1480)、吉良政忠が伯母を弔い「弘徳院」(当初は臨済宗)を創建、徳川時代となり、井伊家(彦根)が飛び地として拝領し寛文10年(1633)、井伊直孝死去し埋葬、戒名「久昌院殿豪徳天英居士」から寺名を「豪徳寺」と改称した。
招き猫伝説が有名。あるとき井伊直孝が、弘徳院の前で猫が手招きしているのにつられて入り、住職と話していると激しい雷雨となった。猫のおかげで雷雨に遭わずに済み喜んだとの伝説。「招福猫児観音像」と同型の観音像が三重塔二層目軒下に安置され、 その周りには可愛い子猫たちが配置されている。

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井伊直弼墓碑(上写真)は東京都指定史跡で、歴代井伊家藩主墓碑は国指定史跡である。なお、境内にはボランティアの年配男性がおられ、名調子で解説してくれるので、これも豪徳寺の魅力であろう。
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最後に、永冨氏が豪徳寺山門前で、歴史研究をフィールドワークで行っている内容についてお話があり、皆さん、納得の頷きで終了いたしました。
ここまでの永冨氏の明確・ご親切な解説に感謝申し上げます。
 この後、豪徳寺駅近くで懇親会開催いたしました。
 今回の「吉田松陰所縁の地を訪ねる」は、ほぼ一日かけて荒川区から世田谷区まで22名の団体で歩くコース。当初、スケジュール通りの時間内行動は厳しいと予測しておりましたが、さすがに矢澤昌敏氏の周到な事前準備に基づく計画は素晴らしく、定刻ぴったりに豪徳寺駅まで完歩することができました。矢澤氏に感謝申し上げます。

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