「白河口の戦い記念碑」の建設にご協力を
2015年の山岡鉄舟研究会例会では「天田愚庵」をとりあげ、鉄舟が愚庵に与えた影響について検討していますが、その過程で「江戸無血開城が鉄舟の駿府駆け」により成り立ち、東海道筋では大規模な戦乱が起きなかったのに、東北の地では、何故に「奥羽越列藩同盟」が結成され戦いがなされたのか。
という疑問から様々な角度から研究しておりますが、この度、福島県白河市で「白河口の戦い記念碑」を建設することについて協力を求められました。
調べて参りますと「白河口の戦い」がまさに戊辰戦争における要の場所であったことがわかり、この地で千名もの戦死者が犠牲となっており、その霊を慰めることに意義があると感じましたので、当会のホームページで皆さんにお伝えし、皆さんのご協力をお願いいたしたく思っております。
記念碑建設委員会からの呼びかけと、チラシを掲示いたしますので、よろしくお願い申し上げます。
ご協力いただける方は、次のお問い合わせ先にご連絡のほどお願いいたします。
TEL・FAX 0248-21-9395 携帯080-1803-2268 締め切りは5月末です
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コメント
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「戊辰戦争白河口の戦い記念碑」建立についてのご紹介を有難うございます。
白河は「白河関」が置かれたことでも分かるように、古来より奥州の玄関口として要衝の地でした。幕末においてもその地理的重要性は変わらず、戊辰戦争が北上するとおよそ百日間に亘って攻防戦が繰り返されました。一年半に及ぶ戊辰戦争の中で、「白河口の戦い」は東北における最初の戦いであり、会津戦争をはじめとするその後の東北全土に及んでいく戦いの帰趨を決した大きな意義を持つものでした。白河の住民は、東西両軍を分け隔てなく埋葬し、数多くの墓や慰霊碑を建てるとともに、現在まで香華を手向けてまいりました。記念碑は、全戦死者を刻銘し主戦場となった稲荷山に建立します。5,000円以上ご寄付をいただいた方のお名前も刻ませていただきます。
ご賛同いただける方をお待ちしております。どうぞ宜しくお願い致します。
戊辰戦争白河口の戦い記念碑建設委員会 安司弘子
なお、掲載いただいた「戊辰戦争白河口の戦い~奥羽の咽喉・白河 城主不在の小峰城(白河城)~の画像は、「戊辰としらかわ」というパンフレットからの抜粋です。(公財)白河観光物産協会のHPで詳細を紹介しておりますので、ご覧いただけたら嬉しく存じます。
http://shirakawa315.com/yae/boshin_and_shirakawa.pdf
投稿: 安司弘子 | 2015年4月 2日 (木) 21時37分