2014年3月例会開催結果
2014年3月例会開催結果
末松正二氏から関口隆吉についてのご発表
関口隆吉は幼少の頃より、頭脳に優れ剣術、馬術、弓術、泳法、兵法等武術全般を各師匠について習得し、学術、武術共に優れた学者であり、行動人であった。
鉄舟とは同年であり、泥舟とは1歳下であるが、ほぼ同世代である。人柄は正直、実直で泥舟とは親友となり、義弟の鉄舟とはそれ以上に親しくなった。
末松氏は、鉄舟が好きだった人物は①山岡静山、②高橋泥舟、③関口隆吉 ④西郷隆盛の順だったと考え、関口という人物について強く感じている二点をあげられました。
一つは「関口隆吉伝」(関口の長男著)からで、1868年2月に小田原藩が箱根山で官軍を迎え撃つ動きありとの情報が慶喜に入り、慶喜は平岡庄七と前島密を正使として小田原藩の動きを中止させる命令を出し、それでも心配した慶喜は鉄舟、関口、大草高重を副使として小田原行きを命じ、関口のみは偶然、遭遇した輪王寺の宮が小田原から動かないのを心配し、宮の出発を見届けてから江戸に帰ったが、この事実は関口が鉄舟と同様に慶喜から指示を受けるほどの人物であったことを意味する。
なお、その途中の3月11日、江戸に向かう駕籠、一番手が中村半次郎、二番手が鉄舟、三番手が益満とあることと「関口隆吉伝」でのべているが、この11日というところは、長男が父(隆吉)から口頭で聴取し記述したもので日時はあいまいと思われる。
二つ目は、慶喜が水戸から駿府へ移動した背景に、海舟を筆頭とする三舟と大久保一翁、加えて、関口等が関与していたこと。
なお、鉄舟と関わる人物は関口隆吉を含め数多くいるわけで、それらの人物像について引き続き末松氏にご都合のよい機会にご発表いただきたくお願いいたしておりますので、ご期待願います。
いつもながら末松氏の博識かつ鋭い視点、大変参考になり感謝いたします。
2.矢澤昌敏氏から5月25日例会「新選組のふるさと~日野を歩く」のご案内と「歌謡曲と浪曲でつづる駿府の鉄舟・・・三波春夫と鹿島秋月」のご案内がなされました。
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