2023年5月
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2023年5月29日 (月)

2023年6月開催

2023年6月は会場の都合で14(水・第二週)に山本紀久雄から「九代目

市川団十郎と山岡鉄舟 後編」を発表いたします。

 

     テーマ   「九代目市川団十郎と山岡鉄舟 後編」

     日程    2023614()

     時間    1830分~20時

     会費    1500

     会場    東京文化会館・中会議室1

 

 九代目団十郎が31歳の時、明治維新が到来。明治政府は「都(すべ)テ事実ニ反ス可ラス」と指示。九代目は「すべての拵えをその時代を調べた」舞台で展開した。

これが「活歴もの」であるが、見物客は「故実を正し」た「今までの芝居において見ることがなかった新式」であったため、「事実」として受けとめるどころか、「絶対否認」という拒否反応を示した。

結果として歌舞伎座の経営状態は「団十郎で損をして菊五郎で埋める」という実態、九代目は貧乏のどん底に陥った。

この債務に追われる生活は明治20(1887)まで、明治30(1897)60歳ごろになると一変した。

富裕者として築地の邸宅も豪勢になり、明治33(1900)に神奈川県茅ケ崎に狐松庵(土地6000)別荘をつくり、更に日本銀行に5万円に及ぶ預金を持つ身分になった。

では、どういう経緯で、九代目は現状から脱皮し得たのか。そこには鉄舟からの影響があったわけで、これらについて発表いたします。

2023年5月例会開催結果

2023年5月24()は東洋大学・岩下哲典教授から「城郭から見た『江戸無血開城』」についてご講演いただきました。

「城は憧れである」との一言から岩下教授の講演が始まりました。

小学生時代、机を並べた女子が持っていた『ジャポニカ学習帳』、そこに掲載された「姫路城」を見たこと、続いて「松本城」「高島城」「小田原城」「江戸城」に関心持ち、中学生時代、高校時代を経て、大学生時代以降「松前城」「久保田城」「横手城」・・・「函館五稜郭」「四稜郭」「辺地力陣屋」「龍岡城」「長尾城」まで約80城以上を実際に訪ねておられるとのこと。

『城下町と日本人の心性』(岩下哲典・「城下町と日本人の心」研究会 編 岩田書院20163)も著しておられます。

これらの観点から、改めて「江戸無血開城」を考えると、その特殊性がよくわかると言われました。

岩下教授は『歴史研究20236月号・711号』(戎光祥出版)の「生麦事件関連情報(注・略題)(新出史料紹介)の中で、次のように述べられている。

≪2022年の漢字は「戦」であった。ウクライナ戦争の影響が大きかったのだろう。幕末も「戦」のイメージがある。天保期にアヘン戦争情報が伝達され、嘉永期にペリー来航予告情報や実際にペリーがやってきて対外戦争の危機が強まり、安政期には通商条約締結によって内戦の危機も高まった。文久期には攘夷運動が高揚し、薩英戦争や馬関(下関)戦争など直接戦争が起きた。また、禁門の変に続き、幕府と長州藩の長州戦争、慶応四年には戊辰戦争が生じた

この戊辰戦争、鉄舟の働きにより「江戸無血開城」が成されたものの、以後、「北越戦争」「上野戦争」「会津戦争」「秋田戦争」「庄内戦争」「蝦夷地戦争」が勃発した。

このように戦争が各地で行われたことの意味は、「江戸無血開城」は主流とはならず、矮小化されたのではないかと、岩下教授が主張されました。

つまり、「江戸無血開城」とは、『太平記』の「城を枕にして討死すべし」の否定であり、いわゆる「敵前逃亡」「卑怯」に類するもので、明治十五年の「軍人勅諭」と相反したわけである。以後、日本の歴史が示すアジア各地、太平洋島嶼部で展開した太平洋戦争とは相容れないものであった。

したがって「江戸無血開城」は、徳川慶喜という稀なる近代感覚人と、鉄舟、泥舟という偉人が存在したからこそ成し得た「戦いなき城明け渡し」であって、この意味で特出すべき成果であった、と高い評価を下されました。

今まで、このような角度から「江戸無血開城」を検討された事例はなかったのではないでしょうか。新鮮な感覚で受けとめた次第です。

なお、明治四年の「廃藩置県」から検討され進められた「廃城令」との関係についても縷々述べられましたが、細部については、後日の検討課題・研究項目としたいとも述べられました。

岩下教授の清新なるご講演に深く感謝申し上げます。

2023年4月25日 (火)

2023年5月例会案内

2023年5月例会は24(水・第四週)に東洋大学・岩下哲典教授から「城郭から見た『江戸無血開城』」についてご講演いただきます。 

     テーマ   「城郭から見た『江戸無血開城』」

     日程    2023524()

     時間    1830分~20時

     会費    1500

     会場    東京文化会館・中会議室1

 テーマの「城郭から見た『江戸無血開城』」は「私が歴史に親しむきっかけになったのは、小学生の時、姫路城の写真を見たことです。以来、城郭と歴史に関心があり、大学では城郭研究会でした。江戸城付近の大名屋敷の発掘にも携わりました。また『城下町と日本人の心』岩田書院、という仲間と書いた本もあります。鉄舟・泥舟らの成し遂げた『江戸無血開城』に関心を持ってから、城郭から見た『江戸無血開城』を考えてみたいと常々思っていました」

 このようなコメントを頂いております。ご期待願います。

2023年4月例会開催結果

 2023年419()例会は清水明氏から「『江戸無血開城の史料学』を読んで、歴史を楽しむコツをつかもう!」についてご発表いただきました。

 清水氏のご発表後、司会者が『江戸無血開城の史料学』(岩下哲典[編]吉川弘文館202211)に対する評価を尋ねたところ「諸先生が何ら干渉を受けず見解を述べあい、それを『史料学』という一冊にしたことに、この書の存在意義がある」と述べられました。

 これに同感いたしますとともに、まだお読みになっていない方は、是非、ご一読されますことを推奨いたします。

 情熱溢れる清水氏のご発表に深く感謝申し上げ、以下、清水氏の発表要旨を記して報告といたします。

  1. 「はしがき」――『江戸無血開城』とは何か、なぜその史料を問うのか」岩下哲典氏(東洋大学教授) 

『江戸開城』とは狭義から広義に考えると、以下の④分類にできるだろう。

  • 「慶喜帰着から、慶喜が江戸を退去するまでの政治過程」
  • 「鳥羽・伏見の戦いから、この「徳川家処分」《徳川家存続、70 万石決定》まで」
  • 「慶喜が朝敵となり、自ら謹慎し、交渉が行われ、徳川家の最終的な処分が決まって落ち着くところまで」《慶応 4 年 1 月 7 日徳川慶喜追討令~同年 7 月 23 日清水港上陸、宝台院入り》
  • 「明治二年(一八六九)三月、明治天皇が東京に移った。この新旧の主が入れ替わったこと」

「今現在読むことができる史料を、勝海舟の功労が第一であるという前提条件を一旦取り払い、なんの条件もなしに虚心坦懐に読むべきだろう」

 

  1. 「研究編」

2-1「海舟史料からみた『江戸無血開城』」和田勤氏(東洋大学人間科学総合研究所院生研究員) 

「江戸無血開城に際して重要な役割を成した人物が、幕末・明治期の政治家、勝海舟である」

「江戸無血開城は誰の手柄であったかという評価を行おうとすると、議論を隘路へ陥らせる怖れがある。《中略》《勝と山岡の両者について》いわば江戸無血開城における役割分担ともいえる」

 

2-2「山岡鉄舟・高橋泥舟史料からみた『江戸無血開城』岩下哲典氏

これまでの歴史研究者や郷土史家が描いてきた勝海舟を最大のキーパーソンとする『江戸無血開城』論を列挙し、それに対する近年の研究を紹介し、「《高橋泥舟は》慶喜の謹慎・助命・嘆願にも関与し、山岡を推薦した功績は大きく、山岡に次ぐものと考えられる」

「『江戸無血開城』における旧幕府側最大の功労者『一番槍』は、徳川慶喜本人が認定していることから、山岡鉄舟であると今後語られるべきである」

 

2-3「江戸無血開城前後の徳川勢力 -尾張・越前両藩の史料を中心に」藤田英昭氏(公益財団法人徳川黎明会・徳川林政史研究所研究員)

「江戸無血開城前後における徳川勢力の動向を、徳川一門である尾張藩・越前藩の史料を中心に検討」

「江戸無血開城にあたって、新政府を代表して城を受け取り、その後の管理を委任されたのは尾張藩」

「『江戸無血開城』は、徳川一族間でなしとげられたものという見方もできそうである」

「『江戸無血開城』の一因として無視できないのは、東海道先鋒総督の橋本実梁もそうだが、新政府内の皇族や公家が、徳川家との全面戦争を忌避していた点である」

「爆発を抑制すればするほど、反作用が生じ、江戸以外の各地で戦争を誘発させ、結果的に戦禍を広めることとなった」

 

2-4「恭順派と抗戦派の交錯江戸無血開城をめぐる旧幕臣」樋口雄彦氏(国立歴史民俗博物館・総合研究大学院大学教授)

「いわゆる恭順派と抗戦派が、それぞれの内部において一枚岩ではなく、多様な存在形態をとったこと。あるいはそれぞれの立場は固定的なものではなく、その時々で揺れ動く存在だった」

「圧倒的多数の旧幕臣たちは、大勢に流されるままに生きたといえる。良くいえば従順、悪くいえば主体性がないものが多かったのである」

 

 最後に、清水氏が今回のご発表で最も述べたかった趣旨を追記いたします。

A.歴史は、様々な史料のなかから何をピックアップし、どういった視点から考えるかで、同じ歴史の痕跡であっても全然違った像が立ち上がってくる、という、 その面白さを是非楽しんでいただきたいです!

B.人の書いた本を読むよりも、1つでもオリジナルの元史料にあたる、あるいは釈字されたものでもいいから原典にあたる、そうすると、必ず新しい発見があり、歴史がグッと面白くなる、一段とヤミツキになる、 その醍醐味を皆さまお楽しみください!

2023年3月22日 (水)

2023年4月19日(水)例会

  1. 2023年419()例会は清水明氏からご発表いただきます。

              テーマ   『江戸無血開城の史料学』に学ぶ歴史の見方

     日程    2023419()

               時間    1830分~20時

     会費    1500

     会場    東京文化会館・中会議室1

清水氏から以下のメッセージが届いております。

昨秋刊行された岩下哲典編『江戸無血開城の史料学』は、我々山岡鉄舟居士の生き方を解き明かそうとする者にとって、重要な関係論文集というのにとどまらず、“江戸無血開城”を通じて、歴史の学び方、見方に示唆を与え、今後の鉄舟居士研究に対する新しいパースペクティブを示してくれた、重要な一冊です。ちょいと高価で手に取らなかった方、買ったものの「敷居が高そう」と開けないままでいる方に、今回は本書のエッセンスをご紹介しつつ、ここから始まる鉄舟居士研究の新しい地平を見通し、“山岡鉄舟研究会”会員として今後為していくべき我々の“課題”について一緒に胸をワクワクさせたいと思います。お楽しみに!

2023年3月例会開催結果

2023年315()例会は、大阪学院大学総合学術研究所所長・郡司健教授から「下関戦争と海外に渡った大砲」についてご講演をいただきました。

郡司教授はかねてより長州砲について研究、2022年に『幕末の大砲、海を渡る』(島影社)を出版され、ご先祖は萩の青海鋳造所の当主にあたります。

まず、元治元年(1864)の下関戦争、これを欧米連合艦隊下関攻防(国防)戦争と称され、四カ国(英仏蘭米)の連合艦隊と長州側の8月5日から7日までの戦闘状況、それと14日の講和条約締結までの経緯を解説されました。

なかでも連合国側、特に英国公使オールコックは、阿片戦争をモデルとした短時日での下関制圧、次に山口、萩も抑え、さらに大坂まで進攻することを期待していたといわれる。

だが、奇兵隊や他諸隊の猛烈な防衛により、進軍を阻まれ、これ以上の戦闘を望まなかったキューパー提督の意向もあって侵略を断念したという。

巷間、下関戦争は長州藩が旧式の武器のため、連合軍の攻勢にあっけなく敗北したという説が見られる。

だが、最近の研究では、この戦闘において敢闘し連合軍の侵攻を下関でくいとめ、山口・萩からさらに大坂侵攻を断念させたことが評価されるようになっていると郡司教授は強調される。

ご講演後の質疑応答でも、この件が話題となり、薩英戦争に比較し、下関戦争の実態が正確に社会で認識されていないのではないか、という指摘が多数の方から示された。

残念ながらその通りであり、今回の郡司教授ご講演を機会に認識を改めたいと思った次第である。

次に、この戦争の結果、多くの大砲が接収され、結果的に54門が英仏蘭米4か国に分配され、その分配リスト(ヘイズ・リスト)とともに、大砲の幾つかは4か国に今も残されている実態を、以下の日程にて郡司教授が現地調査された内容について写真・資料を使い解説をされた。

1 20 04 8 月(8 /78 / 1 4)オランダ・フランス

2 20 05 7 月(7 /2 2 - 7 /2 7)イギリス

3 20 05 10 月(1 0 /2 4 -1 0 / 2 9)イギリス(・ドイツ出張)

 <200年ものづくりリレーシンポジウム>=大砲分配リスト(ヘイズリスト)

4 20 07 1 月(1 /2 - 1 / 7 )イギリス・フランス

5 20 11 8 月(8 /2 9 - 9 /4)イギリス・オランダ(・2 名フランス)

6 20 13 9 月(9 /19 / 8)アメリカ(・カナダ)

この説明過程で山本紀久雄が、パリのアンヴァリットで行方不明となっていた長州砲を見つけたことに触れられたので、当時の経緯を少し述べたい。

最初は、直木賞作家の古川薫氏著『わが長州砲流離譚』(毎日新聞社2006)に、アンヴァリットにある長州砲二門のうち、一門の行方が不明で心配だと記されていたことからだった。

そこで、その当時、山本は度々パリ出張をしていたので、古川氏に連絡を取り、パリで確認してくることを約束、アンヴァリットの学芸員と連絡をとり、2009330日に訪問した。

長州砲一門は門を入ってすぐの庭に展示されている。これは古川氏も分かっている。問題はもう一門である。まだ若き長身の学芸員と館内を探し回ったがない。学芸員は「もう他にはない」と断言したが、ここで引き下がっては折角のアンヴァリット訪問目的が達しない。ねばりに粘る。古川氏から受けた手紙と写真、それと昭和59年の山口新聞記事などを使って何回も説明し、どこかにあるはずだとしつこく追及する。

こちらの剣幕にとうとう学芸員は考え込み始め、多分、普通の展示場所ではないだろうと推測し、倉庫や鍵が掛っていて入れない場所を回って歩いたうちの一か所、ここは軍関係の管理地だから入れないというところ、そこの鍵がかかっている柵の間から覗くと、遠くに長州砲らしきものが見える。これだと叫ぶと、学芸員は慌てて事務所に鍵を借りに行く。ここには自分も入れないところだと言いながら・・・。

鍵が来て開けて入り、走りたい気持ちを抑えつつ大砲のところに行くと、嘉永七年の文字が見える。やはりあったのだ。学芸員もびっくり。知らなかったのだ。アンヴァリットには九百門の大砲があるというが、その記録に漏れがあったのだ。

以上の経緯を古川氏にご連絡し、この件は一件落着と思っていたが、郡司教授がJAL機内誌『スカイワード』(200979月号)で「アンバリッドの長州砲が行方不明」とのエッセイを掲載され、それを偶々JAL機内で読んだ山本が、下記の内容をご連絡したことから郡司教授とのご関係が始まった次第。

郡司教授にはご多忙の中、大阪から上京していただき、貴重な長州砲についての考察をご講演賜りましたこと、厚く御礼申し上げます。

2023年2月17日 (金)

2023年3月15日(水)例会開催

2023年3月15()例会は、大阪学院大学総合学術研究所所長の郡司健教授から「下関戦争と海外に渡った大砲」についてご講演をいただきます

      テーマ   「下関戦争と海外に渡った大砲」

      日程    2023315()

      時間    1830分~20時

      会費    1500

      会場    東京文化会館・中会議室1

郡司先生から以下のメッセージが届いております。

元治元年(18648月、17隻の欧米連合艦隊が下関に来襲した。3日間の攻防の後講和に至った。この戦争により欧米列強による防長2国さらに京阪神への直接的侵略は防がれた。この戦争の結果、多くの大砲が接収され、結果的に54門が連合側英米仏欄4か国に分配された。その分配リスト(ヘイズ・リスト)とともに、大砲の幾つかは4か国に今も残されている。

報告者は、それらの大砲を実際に現地調査し、このリストにおける大砲の内容・種類等の分析検討を試みた。その過程で、さまざまの発見と感動があった。

2023年3月の時流塾開催

2023年3月の時流塾は会場の都合で3月9()に開催いたします。

      発表者   水野靖夫、山本紀久雄

      時間    1430分~1645

      会費    1000

      会場    東京文化会館・小会議室1

 

1. 2023年2月例会開催結果

 2023年28日は山本紀久雄が「九代目市川団十郎と山岡鉄舟 前編」を、概要以下のように発表いたしました。

最初に「十三代目市川団十郎白猿」襲名披露公演について解説、楽屋話として歌舞伎研究家・常磐津節太夫である鈴木英一氏からお聞きした内容を紹介。

九代目は、七代目の五男として天保9(1838)10月に生まれ(鉄舟は天保7年)、生まれて7日目に、河原崎座の座元、六代目河原崎権之助の養子となり長十郎(以下、九代目と称す)と名付けられる。

 九代目は朝の六時頃から稽古、夕の五時六時まで、日曜の休みはなし、晩の御飯を食べて、始めて自分の身体になるという厳しい教育を受けた。

13歳になった少年団十郎、今の芝居皆嘘だと気づく。幕府は歴史上の事件を演じる事を禁止、仮にその時代の舞台や浄瑠璃に歴史上の材料を採用しようとする際は、時代を改め、人名を変えることを要求していたので、当時の舞台は歴史史実と異なる構成であった。

 九代目が31歳の時、明治維新が到来。明治政府は「都(すべ)テ事実ニ反ス可ラス」と指示。九代目は「すべての拵えをその時代を調べた」舞台で展開する具体化へ歩みだした。

これが「活歴もの」であるが、見物客は「故実を正し」た「今までの芝居において見ることがなかった新式」であったため、「事実」として受けとめるどころか、「絶対否認」という拒否反応を示した。

九代目は「ナニ見物が二人になれば止めますが、三人までなら飢えて死んでもやり通します」と、客の危惧を顧みず、「真実(ほんもの)」の追求に向ってますます意地を張って邁進した。

結果として歌舞伎座の経営状態は「団十郎で損をして菊五郎で埋める」という実態、結果として九代目は貧乏のどん底に陥った。

この債務に追われる生活は明治20(1887)まで、明治30(1897)60歳ごろになると一変した。

富裕者として築地の邸宅も豪勢になり、明治33(1900)に神奈川県茅ケ崎に狐松庵(土地6000)別荘をつくり、更に日本銀行に5万円に及ぶ預金を持つ身分になった。

では、どういう経緯で、九代目は現状から脱皮し得たのか。そこには鉄舟からの影響があったはず。その経緯は20236月例会で報告いたします。

2023年1月30日 (月)

2023年2月の時流塾開催

2023年2月の時流塾は10()に開催いたします。

      発表者   水野靖夫、山本紀久雄

      時間    1430分~1645

      会費    1000

      会場    東京文化会館・小会議室1

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